菓子が大好きなわたしにとって、どうも納得のいかない種類がある。それは”グミとラムネ”だ。そもそもキャンディー類に興味がないので、「飴、いる?」と言われても確実に断っているのだが、なぜそこまで嫌うのかというと(実際には嫌いではなく、好んで食べないだけだが)、とにもかくにも腹にたまらないからである。
わたしの食の好みは、味よりも質量にある。だからこそ、ズッシリと重たいチーズケーキや肉の塊が好物なのだ。それに引き換え、シフォンケーキや綿菓子のようなふわっとした食べ物には、まるで興味がない。
その延長にある飴菓子——中でもグミとラムネは、いったいどんな時に「食べたい」と思うのか、いくえ考えても答えにたどり着かないのだ。
そんなある日、グミが大好物な・・いや、むしろグミで出来ているといっても過言ではないほど、主食がグミである友人に尋ねたことがある——「なぜコンビニで、グミ売り場があんなにも広いのか」と。
少なくともわたしは買わないし、グミ売り場で立ち止まっている客を見たこともない。にもかかわらず、なぜあれほどたくさん並べてあるのか、理解に苦しむからだ。
「そんなの当たり前じゃん、流行ってるからだよ」
この発言にわたしは衝撃を受けた。あんなカラフルなゴムが巷で流行っているだと?しかも、中高生の間では”グミニケーション”なる文化が人気で、互いの推しグミを交換しあうのだとか。
この嘘のような本当の話を聞いたわたしは、「食わず嫌いもなんだから・・」と、それからは積極的にグミを試すようになった。とはいえ、ズラリと並ぶバラエティー豊かなグミの面々、いったいどれを買えばいいのか分からない——。
「簡単だよ、定番を買えばいい」
グミの友人はあっさりと言い放った。「なんでもそうだけど、結局は”定番”が美味い。ちなみに、なぜ季節限定というものがあるのかというと、定番のおいしさを再確認させるための企業戦略なんだよ」と、なるほど(?)の理屈を披露してくれたのだ。
だが残念ながら、グミ素人にとって「定番」が何かが分からない。そもそも、なに味が定番に当たるのかも不明なため、まさにくじ引きのようなもので口へ入れてみなければ分からないではないか——。
「定番がどれかを知るには、一年間グミコーナーを見ればわかる」
さらに続けて、友人はこんな無理難題をぶつけてきた。たしかにその通りだが、ここから一年間グミを観察し続けなければ、わたしは「定番」にたどり着くことができない・・とでもいうのか?そんな殺生な話もないだろう。
しかしながら、味の好みは人それぞれであり、友人が勧めるグミが必ずしもわたしの好みとは限らない。かつ、それをもって”グミの是非”を判断するのは危険かつ愚かな行為。ならば、片っ端から試すしかないか——。
こうしてわたしは、事あるごとにグミを買っては食べる・・という生活を始めたのである。
それまでは「一番うまそうなやつを選ぼう」という気持ちでグミのコーナーに立っていたので、パッケージや画像を比較して見栄えのいいほうを選んでいたが、今は非常に簡単。食べたことのない商品を適当に選べぶだけなので、悩む必要がないからだ。
それにしても、味もさることながら噛み応えの種類が多岐にわたることには驚きである。ゼリーの延長のようなフニャフニャの食感から、リアルに「ゴム」であるかのような固さまで、よくもまあここまでラインナップを充実させたものだと呆れて・・いや、尊敬してしまう。
だからこそ売れている(らしい)わけで、若者の間でも人気なのかもしれない。たしかに、指先が汚れないとか後味が悪くないとか、そういった点では優れた菓子といえるが——。
そんなわけで、グミを食べ続けたわたしはとある事実にたどり着いた。それは「グミというのは、一瞬で食べ終えてしまう」という恐ろしい事実だった。
まるで一口チョコやクッキーのようなサイズ感であるグミは、ついポンポンと口へ運んでしまう。その結果、あっという間に一袋が空になるため、ならばもう一袋・・と次々に手が出るよう設計されているのだ。
しかも、冒頭で述べた通り「グミは腹にたまらない」ことから、いくらでもパクパク食べることができる。その結果、とんでもない糖質過多となるわけで——。
それよりなにより、どれだけ食べても満腹感を得られないことに腹が立つ。こちとら、食欲を満たすために食べ物を口へ入れているのに、グミときたらいつまでたっても「食べた感」を与えてくれないのだから、なんのために「食料品」のジャンルに名を連ねているのか分からない。
しかしながら、とりあえず一年間はグミ売り場を観察しなければならないので、今ここで断念はできない。あぁ、やはりグミというのは厄介な食べ物だった——。
*
というわけで、グミの愚民たるわたしは「グミとは何ぞや」を知るべく、首をひねりながらもグミを噛むのであった。
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