「わたしの血肉は、サツマイモでできている」と断言できるほど、焼き芋好きを自負するわたしだが、なんと今、あってはならぬ事態に遭遇している。
そもそもこれは、焼き芋ではなくふかし芋になるのだろうか。さつまいもをレンジで加熱したので焼いたわけではない→つまり"ふかし芋"だ・・となりそうだが、今はとりあえず"焼き芋"と呼ばせてもらおう。
そんな大好物の焼き芋を頬張りながらも、なぜかとんでもない危機に瀕しているわけで、後悔はしていないがどうも腑に落ちない。
いったい、なにをどう間違えたのだろうか——。どうしても納得のいかないわたしは、ここまでの経緯を振り返ってみた。
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わが家には「焼き芋メーカー」なる調理器具が存在する。鍋も炊飯器も保有していないわたしだが、焼き芋メーカーだけは頻繁に使用しており、このことも"焼き芋マニア"を自称するに足る要因かもしれない。
しかし今日は、いつもと趣向を変えて電子レンジで加熱してみようと思ったのだ。焼き芋メーカーならば確実に上等な焼き芋を完成させるわけで、毎回これで調理すれば間違いはない。だが、レンチンの焼き芋がどのような味・匂い・感触・歯ごたえ・だったのかを思い出せなくなった頃、ふとあの感じを思い出そうと、定期的にレンジで焼き芋をつくる習慣ができたのだ。
正直にいうと、この行為は「焼き芋メーカーの素晴らしさを再確認するための儀式」でもある。そのため、ただ単にレンジでチンするのではなく、焼き芋メーカーと対抗しうるレベルで調理しなければならない。その工程とは、こうだ。
水洗いをしたサツマイモに濡らしたキッチンペーパーを巻き、その上からサランラップでしっかりと包む。そして低温3分+高温10分の二段階の加熱調理を行う・・というものだ。このように、水分を保ちながら温度と時間を使い分けて調理をするため、一般的なレンチン焼き芋などとは比べ物にならないほど、手間暇かけた立派な逸品となるのだ。
・・だが、ここまでしてもなお、焼き芋メーカーの出来栄えには及ばないわけで、わたしは改めて焼き芋メーカーを愛でるのであった。
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およそ15分後、熱々の焼き芋をレンジから取り出すと、とりあえず2本だけ食べた。
(・・うん、予想通りの硬さとパサつきだ。申し訳ないが、所詮レンジではこれが限界。とはいえレンジなのだから、これでいいのだ)
案の定、焼き芋メーカーと比べるまでもない仕上がりに安堵しつつも、残りの2本は後ほど食べるべく冷蔵庫へ放り込んだ。
そして翌日——つまり今日である。昨夜の焼き芋を食べようと、冷蔵庫から例の2本を取り出した。
レンジから取り出してすぐに冷蔵庫へ移動させたため、濡れたキッチンペーパーを巻いた状態で、冷たく静かに横たわる焼き芋たち。そんな彼らの身ぐるみを剥がすわたし。
冷たくなっているとはいえ、昨夜加熱したばかりなのでそこまで硬くはない。そもそも夏場には"冷やし焼き芋"も流行っていたわけで、こいつはデザート感覚で味わうとしよう——。
サランラップを剥ぎとり、びしょびしょのキッチンペーパーを破り捨てると、わたしは冷たい焼き芋に齧りつ・・・つ・・・?
な、な、なんと「つーーーっ」と透明な糸を引いているではないか!!!
キッチンペーパーから伸びているのか、はたまたサツマイモから伸びているのか、いずれにせよ不自然に伸びる透明な"ナニカ"を見てしまったわたし。
(先日"糸引く栗マフィン食中毒騒動"があったが、あれは5日も常温で放置したせいだ。それに比べて、こちらは24時間前に作ったばかり。しかも、すぐに冷蔵庫で保管したのだから腐るはずもない。つまり、考えられるとしたら"キッチンペーパーが腐っていた"としか・・・)
わたしは慎重にサツマイモを口へと運んだ。
(クンクン・・異臭は感じない。とりあえず一口かじってみよう)
(モグモグ・・刺激もなければ苦味もない。普通の焼き芋の味がする)
わたしの野性味あふれる嗅覚と味覚をもってしても、このサツマイモに異常は感じられない。・・ただ、ただ舌がヌルヌルするだけで——。
(これはいわゆる"冤罪"ではなかろうか? 腐敗していないサツマイモに濡れ衣を着せて、あたかも悪者であるように仕立て上げるキッチンペーパーの、陰湿で悪質な策略なのではなかろうか? でなければ、サツマイモがこのように健全であることの説明がつかない。味とニオイはさることながら、可食部の色艶といい咀嚼感といい、立派な焼き芋なのだから!)
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そして今、わたしは膝の上に肘をつきながら俯(うつむ)いている。まるでオーギュスト・ロダンの"考える人"のように、じっと足元を見つめている。
・・そう、便座に腰掛けながら——。
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