雑居ビルの一階でエレベーターを待っていたわたしは、降りて来た男性と入れ違いに庫内へ足を踏み入れた——その瞬間、強烈な異臭というか悪臭というか、明らかな「おならの臭い」に包囲された。
わたしの目的地は上層階ゆえに、その途中で人が乗ってこないとも限らない。そして、もしも利用客がいたならば、確実にわたしが”犯人”だと思われるだろう。かといって、見ず知らずの他人に「じつは、さっき入れ違いで降りた男が・・」などと説明するのも逆に嘘くさい。
それよりなにより、エレベーターを降りるまでの間、この硫黄系の腐乱臭の中で息をせずに過ごさなければならない状況に、怒りに加えて生命の危機を感じる・・というか、なぜわたしがこんな目に遭わなければならないんだ——。
こみ上げる憤怒を抑えつつ悶々とするわたしは、先ほどの「すれ違いざまに目が合ったおっさん」が、ややはにかんだような微妙に照れた顔だったことを思い出し、さらに苛立った。
(クソッ!!あのデブ、放屁したにもかかわらず「我関せず」でシレっと逃げたわけか・・)
地団太踏んで悔しがっても時すでに遅し。とにかく、途中のフロアで誰かが乗ってこないことを、ひたすら祈るわたしなのであった。
*
柔術の練習の合間に、近くのカフェを訪れたわたしは、まさかの事態にギョッとした。
そもそも、道着姿でカフェに入ること自体、普通ならば憚られる。だが、持ち帰りでアイスコーヒーを一杯注文するだけなので、わざわざ着替えるのも面倒・・おっと、言うまでもないが汗などかいていないので清潔感は保持できている。加えて、黒い道着に黒系のタンクトップ姿なので、ややもすると「ストリート系のファッション」に見えなくもない。
そう判断したわたしは、(さすがに道着のジャケットは脱いで)カフェへと向かったのである。
カフェまでの道中、着用しているタンクトップから異臭を感じたわたしは、「組んだ相手に嫌がられなければいいが・・とりあえず、練習が終わったら捨てよう」などと考えながら歩いていた。
これはあるあるだが、なぜかラッシュガードやスポブラといった運動時に着用するインナーは、長期間使用すると生乾き臭というか雑菌臭というか、異臭に見舞われる傾向にある。オスバンなどで殺菌・消臭することもできるが、それも面倒なわたしは異臭を感じたらそのままゴミ箱へスルーパスしているのだ。
そうこうするうちにカフェへ到着したわたしは、入店と同時に背筋が凍る思いに見舞われた——なんだこの異臭は・・まさか、わたしのニオイ?!
店内全体が臭いのではなく、誰か一人「臭い人間がいる」という感じの違和感に、これは紛れもなく自分なのではなかろうかという、頼むから外れてほしい予感がした。だがとりあえずコーヒーを買わなければ道場へ戻れないので、レジ前に立つとすぐさま注文を告げた——て、店員がめっちゃ見てくるじゃないか・・これって、やはりわたしが臭いからなのか!!!
三人の店員から奇異な目で視姦されつつ、アイスコーヒを受け取ると逃げるように店を後にしたわたし——とその瞬間、出入口の真横に座っている一人の巨漢が目に留まった。
(お、おまえだったのかぁぁぁ!!!)
それは、ホームレスではなさそうだがそれに近い身なりのデブで、着ているTシャツは汗と劣化で変色しきっている。さっき店内をキョロキョロ見渡した際には、後ろ姿ゆえに気づかなかったが、正面から見ると不潔感満載であり、見た目だけでも「間違いなくこいつが異臭を放っている」と断言できるほどの装い——。
とりあえず、あの「異臭の発生元」が自分ではなくて、ホッとするわたしなのであった。
*
あくまで個人的な見解だが、電車のホームや交差点の信号待ちでゴルフの素振りをするサラリーマンは、例外なく下手くそである。
もちろん、本人のショットを直接見たわけではないので断言できないが、素振りとはいえそのフォーム・・たとえば「バリバリの手打ち」だったり、「カッコつけすぎて滑稽」だったりする姿から想像するに、到底上手いとは思えない。むしろ、下手でなければ困るくらいのフォームなのだ。
そんな「ゴルフ下手なおっさん」が、まさかの地下鉄車内に出没した。
ガラガラというわけではないが、わたしを含めて立っている乗客もいる中、いい感じに出来上がった(酔っぱらった)中年サラリーマンが、ここぞとばかりにインパクトの瞬間を何度も見せつけてくるのだ。
2,3回インパクトを繰り返すと、小首をかしげて「今のは芯くってないな」と言わんばかりの表情で、再度インパクトを試みる。その次は、テイクバックからフォロースルーまで、一連の動作を繰り返す。そして最後は、満足げな表情でフィニッシュを決める——キモッッ!!!
柔術の試合会場で、なぜかシャドウボクシングや蹴りの練習をしている色帯を見かけるが、あんな感じの違和感を覚える。
ここは車内であり、そこそこ乗客もいる。しかも急ブレーキでもかけようものなら、酩酊状態のおっさんは確実によろけて転倒するだろう。にもかかわらず、なぜ無様なスイングを見せつけては、「みんなが俺を見ている」と言わんばかりに恍惚の表情を浮かべているのだ。
いっそのこと、電車の揺れで転べばいい——。
その直後、電車が大きく揺れた。すると、例の酩酊中年サラリーマンは狂言を舞うかのように片足でケンケンしながら通路ドアの方へ向かい、バランスを崩してドアに頭をぶつけた挙句、見事にひっくり返ったのだ。
(わたしの呪いが通じたのだろうか。まぁ、自業自得な上に他の乗客への被害もなかったので、これはこれで良しとしよう)










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