安寧の一瞬

 

まるで雲の上で気を失っていたかのような、身体は健やかで心は清々しい状態のわたしは、ふと意識を取り戻すと目を開いた。

いや、正確には薄目を開けて天を仰いだのだが、あまりの心地よさにまだ完全なる覚醒を望んでおらず、とりあえず軽くまぶたを持ち上げると周囲の様子をうかがった。

やはり雲の上なのだろうか——そう勘違いしそうなほど、滑らかで美しいオフホワイトの天井らしきが視界に入る。さらに、シャンパンゴールド色のシーリングファンがゆっくりと回転を続けており、緩やかに時を刻んでいるのが分かる。そう、ここは雲の上ではない。

そんな光景をボーっと見つめながら、わたしは両側から聞こえる良い静かなモーター音に耳を傾けていた。それは、ホワイトノイズのBGMだと言われたら素直に納得してしまうほど、ヒトが快適に感じる周波数のモーター音だった。

さらに、そこへ重ねるように風が吹き付ける音が聞こえてくる。あぁ、除湿器の音か——。

 

・・と、ここでわたしは我に返った。

なぜ、こんなにも穏やかな気持ちで白い天井を見上げているのだろうか。なぜ、これほど快適な状態——すなわち、暑くも寒くもなく身体の表面が薄っすらと冷たくなる程度の、それでいてジメジメした湿気を感じることなくカラッと乾いた冷気を浴びているのか——それは言うまでもなく、キンキンに冷えた室内で熟睡から覚醒したからだ。

しかも、エアコンのモーター音しか聞こえないということは、起床のアラームは鳴っていない、もしくは鳴りすぎて音が消えたことを意味する。加えて、これほど心地よい状態で目が覚めるということは、アラーム前である可能性は低い。いかんせん、怠さや眠気を一切感ることなく、心身ともに良好な状態にあるわけで、これが短時間睡眠で手に入るはずもない。

 

そして、恐る恐る枕元に置いてあるスマホに手を伸ばしたところ・・・案の定、起床時刻を1時間39分経過しているという、最悪の事実が発覚したのである。

 

これこそが、俗にいう「走馬灯が見える」に似た現象で、ヒトの脳はピンチの時こそ時がゆっくりと駆け巡る構造となっているのだ。

そのため、薄目を開けた一瞬で周囲の状況を把握し、研ぎ澄まされた聴覚により生活音を把握し、瞬時に覚醒した脳が「まずい、これは確実に寝坊した!!」という現実を認識し、スマホへと手を伸ばしたわけだ。

 

それにしても、これは本当に不思議なもので、寝坊したときに限って快適かつ穏やかな時の流れを感じるもの。あらかじめ、時間に追われていたり遅刻が確定していたりすると、時はみるみる過ぎ去っていくのだが、寝坊に限っては違う。あの、覚醒時の心地よさと安寧の瞬間というのは、何事にも代えがたい幸せな感覚に包まれるのだから。

 

 

以上が、今朝の起床時に体験した「まばたきの瞬間」の一部始終であり、しかも、思い返せば今日はこのブログを立ち上げて7年目の第一歩という、記念すべき朝に起きた”事件”なのであった。

 

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