黄色い弾丸

 

「ただならぬ気配を発していたんでしょうね」

そう冷静に分析するピアノの先生の発言を聞いて、身に覚えのあるわたしは妙に納得した。駅構内ですれ違った人々が、なぜ一様に物凄い表情でこちらを見ていたのかが。

 

 

よくよく考えてみると、社会人になってからは運動を強要されることがないため、自発的に飛んだり跳ねたりしない限り体を動かす機会は訪れない。だが、小学校から高校くらいまでは授業で体育があるため、否が応でも走らされる・・というか、休み時間や教室の移動で校舎内を走る生徒というのが、そこそこ居たイメージがある。

その証拠に「廊下を走らない!」という張り紙や教師の一喝は、学校生活における決まり文句として認知されている。それより何より、身体的拘束から解放される10分間の休み時間は、生徒にとって貴重なリフレッシュタイムとなるため、隣のクラスの友達と1秒でも長くおしゃべりをしたり、購買でお目当てのパンを手に入れたりと、休み時間をチャイムギリギリまで有効活用するべく、誰もが当たり前に廊下を走るのだ。

 

ところが、社会人になるとそこまでする元気もなくなるのか、一日の中で走る機会というのは滅多に訪れない。

いくら(時間が決められた)昼休みだからといっても、キッチンカーやレストラン前にできる長蛇の列に並ぶのがデフォルトゆえに、頑張って走ったところで一人か二人早まる程度・・と思えば、わざわざ走るのは無駄だし疲れるし、そんなことのために必死になる姿など恥ずかしすぎて耐えられない。

そんな”オトナ・マインド”に浸食され、いつしか走ることやなりふり構わず頑張ることは「恥ずかしい」と思い込んだ結果、道路や建物内で全力ダッシュする者を見ると、驚きや違和感を覚えるようになるのだ。

 

無論、スーツ姿のサラリーマンがなりふり構わずダッシュしていれば、多くの者は「会議が押したのかな」とか「商談に遅刻しそうなのかな」と予想するだろうし、実際にその通りのことが多い。

とはいえ、締め切り時刻が迫った新聞社の編集局内でもない限り、おっさんが鬼の形相で駆け回ることなど通常はあり得ない——この前提でいくと、さっきわたしが真剣な表情=鬼の形相で駅構内を全力ダッシュした際に、すれ違う人々が揃いに揃ってギョッとした表情だったり、知り合いでもないのに二度見されたりしたのは、完全なる違和感からくる驚きと恐怖心の現れだったわけか。

 

言われてみればたしかに、駅構内とはいえ全力で走るオトナは少ない。たまにダッシュしている者もいるが、「1分後に発車する電車に乗らなければ、飛行機に間に合わない!!」という危機的状況が伝わってくるかのような、悲壮感というか焦燥感というか(ほぼ)泣きながら全力疾走する姿は哀れで見ていられない。

ちなみに、オトナたるもの「走らずとも間に合う時間に出発する」のが当たり前であり、それこそが社会人としてのマナーでもある。にもかかわらず、わたしは「ダッシュすれば間に合う時間に出発する」という舐めた考えで成り立っているため、いついかなる時でも走っているのだ——しかも全力で。

 

おまけに今日のわたしは、真っ黄色のTシャツを着ていた。まるでスターバックスの店員であるかのような(スタバは今年で日本上陸30周年ということで、店員が黄色の記念Tシャツを着用している)見事な黄色ベースの生地に、黒文字で大きく「Onitsuka Tiger(オニツカタイガー)」と書かれたデザインゆえに、ジッとしていても目立ってしまうカラーリングである。

そんな、自己主張の激しい黄色いTシャツを着たガタイのいいオンナが、正面から「どけどけどけぇぇぇ!!!」と言わんばかりのオーラを放ちながら突っ込んでくれば、普通の人間ならば生命の危機を覚えて当然。

 

無論、こちらは次の電車に乗ることに全てを捧げているため、自分の見た目のことなど微塵も考えてはいないが、すれ違う人間とやたら目が合ったり二度見されたりする事実には気付いていた。

そして、その現象が不思議で仕方なかったのだが・・あぁ、こういうことだったのか。

 

 

駅構内を全力疾走する際は、赤や黄色といった目立つ色のシャツは着ないようにしよう・・と、密かに誓うわたしなのであった。

 

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