たまたま興味深いツイートを目にした。
「公園にある給水機は、男性器がモティーフになっている。不必要に丸く飛び出た先端のこのフォルム、この太さ、水の飛び出方。見るだけで吐き気が襲う。こんなもの、子供たちに使わせられない。明日、管理者に問い合わせます。」
これを読んだ私は、このツイート主の感性に驚かされた。
所詮、釣りのアカウントだろう。とはいえ、まさかの発想に度肝を抜かれた。あの銀色の金属をみて、男性器を連想するとは恐るべきイマジネーション、いや、インスピレーション!
そもそも、通常ならば結びつかないようなひらめきが浮かぶということは、四六時中そのことを考えているのだろう。
ちなみにこのツイート主であるフェミニストは、真のフェミニストではない。そうじゃないと願いたい、というのが本音だが。
こういう基地外めいたツイートを放つことで、本来のフェミニストへの嫌悪感とバッシングを扇動すべく、フェミになりすましての爆弾投下と憶測する。
よって、四六時中フェミニストを陥れるための策を練った結果、公園の給水機を見て「こ、これは!!!」となったのだろう。
しかし、見事な「標的」を発見したものだと感心してしまう。
先端のこのフォルム、この太さ、水の飛び出方・・・。どれもこれも「言われてみれば」と、心のどこかで肯定しかねない観察力である。
とはいえ、私は決してバカにしているわけではない。
イギリスの物理学者であり天文学者でもあるアイザック・ニュートンは、リンゴが木から落ちたことから、万有引力の法則を導き出したと言われている。
これが事実がどうかはさておき、リンゴが木から落ちるという現象は、はるか古代から起きていたはず。それにもかかわらず、何千人、何万人、いや、それ以上の数の人間たちが、リンゴが木から落ちるということに疑問を抱かなかったわけで。
ところが突如、ニュートンの手にかかれば重要な法則の発見につながってしまったのだから、リンゴにしても「落ちてよかった」と誇らしい気持ちになったに違いない。
つまり、
「なぜリンゴは、横や上ではなく下に落ちたのか?」
という、一見バカげたような素朴な疑問に端を発し、それが最終的には「あらゆる物体は重力(引力)の影響を受けている」という、未知の事実にたどり着くという奇跡が起きたのだ。
ニュートンだってその当時、リンゴ落下の疑問について大々的につぶやく機会があったとすれば、世間の嘲笑を買っていたかもしれない。
彼が立派な法則を発見したからこそ、誰もが「リンゴからヒントを得るとは、さすがはニュートン!」と褒め称えた。しかしなんの功績も残せなければ、リンゴ事件が歴史に名を刻まれることすらなかったわけで。
さらにニュートンは、四六時中「重力理論」について考え、仮説を立てていたからこそ、リンゴが落下するというありふれた現象すらも、ヒントになったのだろう。
「一つのことを考え続けることで、思わぬヒントから偉大な発見につながることがある」という可能性を、ニュートンは示してくれたのだ。
冒頭の”釣りフェミニスト”も、間違いなく、寝ても覚めても男性器のことを考えていたのだろう。
それ故に、ふと通りかかった公園でのどを潤そうと、ひねった給水機の蛇口を見て思わずのけぞった。
「だ、男性器じゃないか!!」
さらによくよく観察してみると、アレもコレも実物と激似ではないか。
(なるほど、これは給水機と見せかけて、男性器のオブジェを公然と設置したのだな――)
ニヤリと口角を上げると、釣りフェミはさっそくツイートしたわけだ。
だが個人的には、飲み水の給水機のほうでよかったと思っている。
なぜなら、そのモティーフが手を洗うほうの蛇口では、なんというか、男性に対して失礼な気がしてならないからだ。
とにかく、毎日が驚きと発見の繰り返しである。
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