歯科医・大門未知子

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「女はさぁ、20代しかモテないんだから、顔と歯はキレイなほうがいいでしょ~」

 

美人に言われると、そこに根拠があろうがなかろうが、妙な説得力がある。

この人は確実に美人で、しかも自分がモテることを十分承知している、タチの悪い美人だ。

 

「エルメスの店員」と言われればピッタリの風貌と雰囲気だが、彼女の職業は歯医者。

美人で聡明、ついでに歯科大学を首席で卒業している。さらに両利きなので、右手で治療をしながら左手で書類にサインをする器用さ。

 

かつてわたしは、この美人歯科医にそそのかされ、親知らずを4本一気に抜くという偉業を達成した。

 

事の発端は、美人がこう囁いたからだ。

「アンタ親知らず抜いたら、小顔になるんじゃない?そしたらモテるかもよ」

妖艶な笑みを浮かべながら、小悪魔がわたしに詰め寄る。

 

この状況で断る勇気もなければ、そんな選択肢も用意されていない。しかもモテるようになるのなら、リスクもデメリットも何もない。

一抹の不安を抱えながらも、親知らずを一気に4本葬り去った。

 

4本もの太い奥歯を引っこ抜いたわけで、さぞかし小顔になっただろうと期待するわたしに向かい、

「あれぇ、全然変わらなかったね。まいっか」

あっけらかんと突き放す小悪魔。

 

そんなドライで正直な彼女が好きだ。

 

 

前歯を含め、口を開けたり笑ったとき、相手から見える歯には厳しい美人歯科医。

 

「モテるのなんて今だけなんだから、ちょっと高いけどセラミック入れたほうがいいって、絶対」

 

たしかにその通りだ。若いうちこそ見た目がすべて。

バカでも生意気でも、若くて可愛ければすべて許される文化は健在。

 

その頃まだ若かったわたしは、歯医者で使えるローンを組んで(組まされて)、前歯をセラミックにした。そして下の歯もすべて、日常生活で他人から見える歯はすべて白くした(させられた)。

 

「アタシ、好きな人の口の中は見たくないの」

突然、美人が話し出す。その理由を尋ねると、

 

「口の中ってさ、その人のすべてが表れるのよね。歯の生え方も歯並びも、磨き方も噛み合わせも、虫歯や汚れも全部」

 

なるほど、さすがは専門家らしい意見だ。

どんなに見た目がカッコよくてオシャレな男性でも、口の中が彼女好み、というより彼女が認めるほどキチンと手入れされていなければ、ポイされるのだ。

 

実際に過去の彼氏で、

「絶対にクリニックには来ないで」

と念を押しておいたのに、どうしても我慢できなかったのだろう。コッソリ予約を入れて治療に訪れた男がいたのだそう。

 

言うまでもないが、その日以降、彼の姿を見た者はいない。

 

ーー相手が嫌がることをしてはいけないんだな、ということを、直感的に学んだ瞬間だった。

 

 

港区の一等地、愛宕。クリニックの駐車場に真っ赤な小ぶりのアウディがとまっている。

そうだ、彼女の愛車だ。

 

「かわいいものに囲まれていたいのよね~」

 

たしかに、受付の女の子も歯科助手の女性も美人だ。間違いなく顔面審査を設けているはず。

その辺の芸能事務所より、このクリニックで働く女性陣のほうが上物だった。

 

「アタシね、将来は『かわいいおばあちゃん』になるの。年寄りで憎たらしいババァなんて最悪でしょ?かわいくもなんともない」

 

ーーそりゃあなたは、年取っても美しいままでしょうよ。

ただし性格はね、そう簡単に変わるものではないからね。かわいいおばあちゃんとやらになれるかどうかは、これからの努力次第じゃないかな。

 

そんなことを内心思いながらも、うんうん頷き彼女の話を聞く。

 

いま思うと、テレビドラマ「ドクターX~外科医・大門未知子~」の主人公、大門未知子にソックリだ。いや、むしろ大門未知子が彼女を参考に作られたキャラじゃなかろうか。

 

フリーランスではないが、美人で腕利き。しかも驚くことに口癖が、

「アタシ、失敗したことないから」

だった。

 

たしかに彼女は失敗しない。彼女のプライドに賭けても失敗など決してしない。

 

美人であることと同じくらい、歯科医という職業に対する愛情と、治療に対する絶対的な自信を持っていた。

 

 

そんな美人がこの世を去った。

 

子宮肉腫(平滑筋肉腫)という、治療法の確立されていない希少がんに侵されていた。

とは言え、5年生存率7%にもかかわらず余裕でクリア。今年の11月20日で、最初に手術を受けてから9年が経過する予定だった。

 

病状や容体について詳しく聞いたことはないが、あまりの腹痛で何度も救急車で運ばれたり、手術のたびに「もうこれで最後にしたい」と訴えていたり、どう考えても辛く苦しい状態だったに違いない。

 

あれだけ強くて聡明な女性が、弱音や愚痴を吐くなんて信じられない。そのくらい、想像を絶する苦しみだったのだろう。

 

肉腫が再発したら手術をするという対症療法しか、現代の医学において打つ手はない。

そして4回目の手術後、またもや再発が見つかった。その時、彼女はこう心中を吐露した。

 

「自分らしく生きる為に、出来る治療をすべて受け入れないという選択肢もあるのかなって思う」

 

この言葉を聞いた時、わたしは信じられなかった。

あれほど「今できることは今やろうよ!」とわたしを焚きつけてきた彼女が、こんな考えをほのめかすなんて。

 

でも裏を返せば、それほどまでに苦しい病気との闘いだったのだろう。

 

それでもわたしは、どんな手段を使ってでも生きてほしいから、この考えには賛同できなかった。

どうせわたしは他人だ。彼女の辛さや苦しさなんて分からない。分からないからこそ、好き勝手言わせてもらう。

 

どんなに痛く苦しい手術でも、何度でも乗り越えて復活してきてくれ。

 

でなきゃ、誰がわたしの歯を診るんだよ。

 

 

この世は本当に理不尽で不公平。生きるべき人が死んでいく。

 

とりあえず、あなたが「かわいいおばあちゃん」になるには、まだしばらく時間が必要だ。

天国でゆっくりと、かわいいおばあちゃんになれるよう、精進してくれ。

 

R.I.P

 

 

Thumbnailed by オリカ

 

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