常習犯  URABE/著

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全身から血の気は引くし、手の震えも止まらない。心臓のバクバクもおさまらない。とにかく、どうしたらこんなことが起きるのかアタシには理解できなかった。

 

今日こそは遅刻をしないようにと、4時間も早く目的地近くのカフェに入り、仕事をこなしながら約束の時間を待った。それなのに、それなのに気がつくと時計は「予定時刻の一分前」を指していたんだ。近所とはいえ目的地まで10分はかかる。今日もまた、15分の遅刻が確定した――。

店を飛び出すと、重い荷物を背負ったままアタシはダッシュした。いつも大急ぎで来たフリをしてると思われるんだけど、じつはそうじゃない。本当に全力で走ってるんだ。でもそんなことはどうでもいい。遅刻こそが事実なわけで、アタシが全速力を出そうが出すまいが、その事実は変わらないんだから。

 

街中を走りながら遠い昔の記憶がよみがえる。あれはICU(国際基督教大学)を受験したときのこと。自慢じゃないけどあの時もアタシはきっちり遅刻した。だけど正門に着いた時がちょうど試験開始時刻だったので、全力で走れば間に合う!と思ったんだ。最初の試験がリスニングテストじゃないことだけを祈りながら、走るのが大嫌いなアタシは過去一のスピードで正門をくぐりぬけた。

走れど走れどずっと同じ景色が広がる。なんだろ、迷宮に迷い込んだかのような、ずーっと同じ景色。道には受験生どころか誰もいない代わりに、両脇の桜の木(まだ咲いていない)だけがアタシを応援してくれてる気がした。「マクリーン通り」と呼ばれるその道は、およそ600メートルの一直線。近道もなければ迂回路もなし。そんな絶望しか与えてくれないグリーンマイルを、休むことなく走り続けた。

でも季節はちょうど今ごろ、つまり真冬。普段から走ることをしない人間が全力で走ったりすれば、肺が悲鳴をあげるに決まってる。このまま走り続けたら、試験どころか肺が爆発して救急搬送される恐れがあると悟ったアタシは、途中から歩いた。

たしか遅刻は20分まで認められるはず、まだまだ余裕はある――。

 

そしてこの長い一本道の先で、「試験会場はこちら」の看板が見えてきた。もうすでに試験は始まっている。そしてこのグリーンマイルを歩くのはアタシしかいない。どう考えても絶望しか感じられない中、アタシは最後のダッシュを決めた。一分でも長くテストが受けられるように、悔いのない受験となるように、アタシは真冬に汗だくになりながら教室へと向かったんだ。

 

そして指定された部屋のドアをそっと開けると、思わず安堵の言葉が漏れた。

「ギリギリセーフ!」

すると待ち構えていた試験監督官が、怖い顔して間髪入れずにこう返してきた。

「ギリギリどころか、ほぼアウトです」

 

(でもよかった。最初の科目は小論文、まだ間に合う)

 

およそ15分の遅刻で滑り込んだアタシは、試験監督官の嫌味は無視して無事に入試を受けることに成功した。

 

――そんな苦くも懐かしい思い出がよみがえる。あの時も寒かったな。寒い日に全力で走ると、ホント肺が凍るように痛苦しくなるんだよなぁ。それにしても箱根駅伝とかよく走ってられるよな。正月の朝っぱらから箱根の山を走るなんて、どんな肺のつくりしてんだか。

 

そして目的地に到着。およそ7分の遅刻、予定より早く着けてちょっとホッとする。そして着替えながら再び考えた。

(そういえばいつも、なんで家を出る時間が電車に乗る時間なんだろう)

たとえば12時30分に家を出ようと準備をしていても、実際に玄関のドアを閉めるは12時45分。家を出てからエレベーターに乗って、道路を歩いて駅にたどり着くまでおよそ4分。だけど地下に降りて改札を通過してホームに着くまでにさらに3分かかる。そして電車のタイミングによっては5分ほど待つことになるので、玄関のドアを閉めてから地下鉄に乗り込むまでには、10分乃至15分の余裕をみなければならない。

それなのにアタシは、家を出るのが電車の発車時刻なんだから遅刻するに決まってる。どんな思考回路してんのか、頭かち割って見てみたいわ。

 

そんな悪癖を断ち切りたくて、だからこそ今日は4時間も早く目的地の最寄り駅でスタンバイしてたのに。それなのに――。

 

目が覚めると予定時刻の1分前だった。もはやどんな言い訳も通用しない。ただ単に、遅刻をしたという事実だけが頭のなかをグルグルと渦巻いた。

(アタシはきっと病気なんだ)

こうなったらやることは一つ。全力で走って心の底から謝るしかない。

 

こうしてアタシは、全力で走ることと心の底から謝ることだけはできる人間に育った。ヤバい、こんなことなんの自慢にもならないじゃん――。

 

(了)

 

サムネイル by 希鳳

 

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