素人ピアニスト爆誕

 

ここ最近、時間が足りない日々を送っている。その理由は、ピアノの練習量が多すぎるため——。

ピアニストでもなければ音大生でもないのに、現在11曲もの課題を抱えているわたし。しかも、過去に弾いたことのある作品だけでなく、新たに譜読みが必要な曲が5曲も混じっているため、毎日必死に楽譜を睨みつけながら鍵盤と対峙しているのである。

 

そもそも譜読みが遅くない(決して「早い」とは言えない程度の)わたしは、新たな課題曲が多くても負担に感じることはない。だがそこへ、突如急ぎの案件(仕事)が舞い込んできたり、旧来の友人から食事の誘いがあったりすると、一日の時間配分が一気に崩れる。

とはいえ、仕事を最優先とするのは当然であり、それを差し置くことはできないのだが、11曲もの課題を抱える現状には理由があり、なんと今月、都内某所にてピアノ演奏の依頼を受けたのだ。

 

我が人生初となる、ピアノリサイタル——なんて言うと大袈裟ではあるが、先日のわたしの演奏を聞いていた観客の一人からまさかのオファーがあり、会場が自宅から近いということもあって快諾。

だが「演奏時間30分」というノルマを達成するべく、現在練習中の曲も含めて他にも何曲か見繕う必要があり、そんなこんなで合計11曲もの膨大な量をこなすこととなってしまったのだ。

 

おまけに、わたしには二人の先生がいる。一人はピアノ教室の先生で、もう一人はその先生の先生・・すなわち師匠に当たる人なのだが、先生ごとに練習曲を与えられているため、かたやモシュコフスキー×2曲とドビュッシーとメンデルスゾーンを、かたやショパン×4曲を練習しなければならず、これだけでも手一杯だというのに、さらに3曲追加で自主練を課せられるという、字面だけ見るとまさにピアニストのような生活を送っているわけだ。

 

しかも面白いのが、いずれの先生も「本番までは演奏会で弾く曲をやりましょう」とは言わないことである。師匠のほうなど、先日のステージ直前に(たまたま)レッスンが入っていたのだが、

「悪いんだけど、今夜のステージのためにレッスンをする気はない。将来のあなたのためにレッスンをするから、今日習ったことを本番で使うかどうかはお任せするわ」

と言われ、押しつぶされそうなほどの新たな課題を背負い、重い足取りで会場へと向かった記憶がある。

 

だからこそ、言い訳はできない——。

リサイタルを引き受けたのはわたしの選択であり、先生と師匠の元へは己の技術を磨くために通っている——そう、レッスンの目的が違うのだ。

それ故に、それぞれの課題曲をそれぞれこなす必要があり、加えて本番の曲も完成させなければならないという、とんでもないことになっているのである。

 

それにしても、改めて脳の劣化を感じるわたし。

譜読みの速度はそこまで衰えたとは感じないのだが、実際に鍵盤を叩いて音を出す際に、目から入った楽譜の情報を脳から指へと伝える速度が遅くなった・・というか、想像するほどスムーズに機能していないように感じることがある。

さらに、「シ」だと思って「ラ」を打鍵するなど、身体感覚にズレが生じることも——。そんな時、「あぁ、これこそが劣化している証だ」と、残酷な現実を突きつけられ呆然とさせられるのだ。

 

年を取るということは、過去が増える分だけ経験値は増すが、その反面、自分自身の能力や機能は劣化する。ゆえに、年を重ねれば重ねるほどいい・・などということは何もない。

とはいえ、今だからできること——いや、むしろ今だから「こそ」できることがあれば、それこそ年を取った甲斐がある。そんな年季の入った演奏ができたならば、ド素人ピアニストにとっても本望だろう。

 

*

 

そうこうするうちに、今日という日も刻々と過ぎていくわけで、このパソコンを閉じたら再び鍵盤へと向かうわたしなのである。

 

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