脳の体力

 

「年齢を重ねるごとに体力は衰える」と一般的にはいわれているが、中年真っ盛りのわたしはそれを感じたことがない。実際に、なんらかの運動や競技を行ったとしても、20代の頃よりも疲れるとか体がついていかないといった経験はないのが事実。

だが、その理由の一つには「そもそも20代に大した頃運動をしていなかった」ということが挙げられる。当時からずっと同じ競技に取り組んでいれば、さすがに40代の今とは違うと感じるのだろうが、比較するビフォーがないのだから比べようもないのである。

 

とはいえ、たとえば柔術で20代の子たちスパーリングをしても、疲れるとか年齢を感じるといったことはない。

ちなみに「動きが良くない」とか「ドタバタしている」というのは、わたし自身の身体能力の低さや技術不足なだけで、年齢によるものではない。要するに、今の動きはわたしが20代であっても同じなのである——これは自分自身のことだから、残念ながら分かるのだ。

 

そんなわけで、加齢による体力の低下はまったく自覚できないが、確実に「衰えた」と感じることはある。それは・・脳の体力である。

 

「昔だったら、もっともっと考えられたはず」ということが、今では苦しくなっている。殊にそれを感じるのは、ピアノの練習をしている時だ。

練習時間の長さは今も昔も変わらずいくらでもできるが、何らかの原因で脳みそが疲れている際に深い思考で演奏を試みると、たった一曲で疲れてしまう——これは、昔はなかったことである。

無論、ただ単に指を動かす練習(わたしの左手指は障害を抱えているので)であれば、それこそ意味はないにせよ”ながら作業”でもできるし、(指を動かすための)神経や筋肉に注視しながらの練習ならば何時間でもできる。

だが、「どう演奏したいのか」「どう演奏するべきか」を考えながら、脳から絞り出すように指先へとエネルギーを流す作業は、ひどいときなど一曲で疲弊してしまうのだ。

 

とはいえ昔は、現在師事している先生には習っていない。コンクールや受験対策など期間限定の詰め込み作業だったからこそ、短期集中(といっても、15年近くは続いたわけだが・・)できたのかもしれない。

しかも、今の師匠の教えというのは、音楽の真髄のみならず「芸術とは何ぞや」という深い部分にまで触れようとしているため、当然ながら脳の稼働領域は広いし、これまで使っていなかった脳の細部まで叩き起こす必要がある。

そう考えると、今までやってこなかったことに取り組んでいるのだから、脳が疲れるのは当然なのかもしれないが——。

 

それでも、「もう少し頑張りたい」と願っても脳がそれを拒否する瞬間を目の当たりにした時、わたしは「年」を感じずにはいられなかった。フィジカルは元気でも、脳みそは劣化しているわけだ。

だからといって、この作業を止めるわけにはいかないので、毎日少しずつ脳を慣らしてさらに先へと進まなければならない。この人生ではたどり着かないであろう、音楽の境地の入り口くらいまで近づけたら・・という、淡い夢を抱きながら。