わたしは今日、ついに今シーズン初となる「暖房」のボタンを押してしまった。
先週までは、それこそ「送風」や「ドライ」といった、どちらかといえば”夏仕様のボタン”を押していたのに、たった一週間でまさかの暖房に指が伸びるとは、移りゆく季節の速さに驚きを超えて絶望である。
寒さに弱いわたしは、暖房が必要となる季節がめっぽう恐ろしい。
ヒトは・・いや、生き物は皆、暑すぎても寒すぎても生きてはいけない。暑い環境であれば、発汗や皮膚血流の増加によって熱を逃がす努力をするが、高温多湿であると放熱できずに死ぬわけで、これはこれで恐ろしい。
対する寒い環境は、体温を維持するべく絶えず熱を作り続けなければならない。にもかかわらず、「寒い」というだけで代謝や運動・消化といった生命活動そのものが鈍くなるため、継続的なエネルギー供給が困難となる。そこまでいかずとも、手足がかじかんだり低体温で判断力が低下したりするため、体温を維持するには食糧や防寒具・暖房設備など、常に「何らかの資源を要求し続けなければならない」のである。
まぁ、どちらがヒトにとって生命の危機を感じるのかと問われれば、いずれにも多大なリスクはあり、どちらも死を突きつけられる怖さがある。だが、わたしにとっては、あらゆる活動能力を低下させる「寒い環境」のほうが問答無用で恐ろしい。
死ぬか生きるかといった極端な話ではなく、「真夏の猛暑と真冬の酷寒、どちらの方が外出したくないか?」と聞かれれば、明らかに真冬の酷寒である。一般的な考えでは、暑さに対しては(どれだけ薄着をしたくても)最低限の衣服をまとわなければならないという”ある種の限界”があるが、寒さに対してはいくらでも防寒対策の施しようがあるわけで、散々厚着をして外出すればいいじゃないか!となるだろう。
しかしながら、わたしは寒い日には一歩も外へ出たくはないし、現に出ない。
やはり寒さというのは、生命体の活動能力を奪う圧倒的な力がある。それは単に気温の問題ではなく、「寒い」という事実だけでヒトは動かなくなる・・という、本能的な性質も関係している。
だからこそ、冬になると布団やこたつから離れられなくなるのだ。事実、室内が極寒かといえばそんなことはない。にもかかわらず、温かい環境から抜け出せなくなる理由は——外が寒いからである。
とどのつまり、「寒い」というだけでヒトは動かなくなる生き物なのだ。そうなれば、あらゆる生産活動に支障が出たあげく、最終的には生命維持のエネルギー源となる資源が枯渇し人類滅亡となる。
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このように、我々へ恐怖と絶望しか与えない冬という季節が、いよいよ足音も立てずに忍び寄ってきた。その明確な合図こそが、エアコンの暖房ボタンを押した・・という事実である。
あぁ、できればあと一カ月は押したくなかった。少しでも長く「秋」という季節を満喫したかった。それなのに冬は・・身勝手で暴力的な冬は、まだ10月だというのに姿を現したのだ。
わたしは、エアコンの「暖房」を押してから、洗面所とデスクの下にセラミックファンヒーターを設置した。なぜなら、コンクリートとガラスでできた我が家は、またの名を「港区の監獄」とか「東京のシベリア」とか「都心のセメント樽」と呼ばれており、東京に住んでいるにもかかわらずエアコンだけでは冬を越せないからだ。
(あぁ、なんと憂鬱なことか・・)
寒さが恐ろしいのは何度も述べてきたが、それに加えて「電気料金が恐ろしい」のも冬の特徴である。なんせ「万の位の数字」が違ってくるわけで、それはもう別の意味で生命の危機といえる。
ということで、朝から憂鬱なわたしなのであった。










寒さに凍えて目が覚めました
そして見事に発熱したようです…
小さい子供のような鼻水でマスクの下がやばいことに笑
ええー!大丈夫??
銀座ヤマハで暖まるしかないな