ぎっくり腰のプロの実力

 

定期的にぎっくり腰を発症するわたしは、ある意味「ぎっくり腰のプロ」である。むしろ、ぎっくり腰になる前から予兆を察知し、みるみる迫りくる”大災害の本番”を手ぐすね引いて待ち構えるほどの余裕がある。

そんなわたしは現在、久々にぎっくり腰を味わっている。ちなみに、今回の予兆は「朝起きたら右股関節に謎の激痛を感じ、そのままウロウロしていたら痛みが腰へと移動して、最終的にぎっくり腰になった」という流れ。

 

余談だが、この経緯からも分かるように、ぎっくり腰というのは腰が原因ではなく、その周囲の不調がじわじわと集まった結果、最終的な爆発地点が腰となる・・というのが、発症までの厳密なプロセスである。よって、ケアするのは腰ではなくその周囲——臀部やハムストリングス、膝、背中、肩、首、胸となる。

要するに、今回の原因は右股関節に感じた痛みすなわち大腿部の筋膜炎がトリガーとなり、最終的に腰で爆発が起きたのだ。

 

というわけで、狂言師・和泉元彌バリの「そろりそろり」を披露しながら帰宅したわたしは、さっそく尻の下にテニスボールを置いた。

臀部の筋肉の密度が高いわたしは、ぎっくり腰の際は例外なく尻が固くなっている。それをほぐすには、人間の指やストレッチポールでは不可能なため、この硬くて小さなテニスボールを使って深部まで圧力を加える必要がある。

そして当然ながら、テニスボールの上に座ればめちゃくちゃ痛い。

中には「気持ちいい」という者もいるが、それは健康な証拠である。筋膜炎などで筋肉が硬直している時に、固いボールを尻で踏んで痛くない者などいないわけで、そんな地獄の激痛に耐えながら、藁にもすがる思いで20秒をカウントするわたし——。

 

それにしても、痛みを噛みしめながら数える20秒間というのは、冷静さを失うほど恐ろしく長い時間に感じる。それでも、どうにか意識を保ちながらカウントを重ねると、これまで引き起こしてきた数々の悪事や失態が走馬灯のようによみがえり、「あぁ、わたしは罰を受けているんだ・・」などと、過去の自分を悔い改める精神修行の時間となる。

それは何というか、とても宗教的でセンチメンタルな気分に浸れる時間でもあるので、無宗派のわたしにとってはある種必要な「懺悔の場」なのかもしれない・・なんて妄想が膨らむくらい、正気を保つのが困難な痛みを覚えるのである。

 

このような苦行に耐えること数十分から一時間。尻および大腿部から膝横にかけての玉転がしを終えたわたしは、ゆっくりと体を起こすとスクワットの態勢から静かに立ち上がった——よし、痛みは半減した!

 

そう、この時点でぎっくり腰の半分くらいが回復してしまうのが、わたしの持ち味というか特異性といえる。無論、痛みも和泉元彌も健在だが、腰部周辺の筋肉の硬直を解きほぐすことで腰の緊張をある程度開放した結果、最悪の大災害は一気に収束へと向かうのだ。

 

(さてと、日常生活を再開するか・・)

こうして、テニスボールによる懺悔と精神修行を終えたわたしは、相変わらず身体活動が微妙に制限されたまま、凡庸でパッとしない今日を踏み出すのであった。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です