閏(うるう)時間

 

年に一度、閏(うるう)年ならぬ「閏(うるう)時間」を設けて睡眠調整を行うわたしは、気がつけば17時間半もの長きにわたり、ほぼずっと寝て過ごしていた。

 

閏時間の始まりは「ちょっと昼寝をしよう」という軽いノリだった。そのため、スマホでアラームをセットしてからソファへ寝転がったのだが、30分後のアラームで目を覚ましたわたしは、洗面所へ向かう途中に立ちはだかるベッドの妨害を受け思わず躓いた。

それにしても、「ほんの少しだけ」という言葉ほど、嘘でいい加減なものはない。仮眠にしろつまみ食いにしろ、ほんの少しが「本当に少し」で済むことなどあり得ない。要するに、「ほんの少し」という悪魔のささやきは、とてつもなく膨大な量や時間へと導かれる、恐ろしい呪文なのである。

しかも、運悪く手ぶらで洗面所へと向かったわたしは、スマホをソファに置きっぱなしに——つまり、改めて仮眠をとるにしろ何にしろ、アラームをセットすることも時間を確認することも、不可能となってしまったわけだ。

 

我が家には壁に時計が掛かっているが、ベッドからだと遠くてよく見えない。アレクサにも時間が表示されているはずだが、こちらも遠くて見えない。だったら、とりあえずスマホを取りに戻れば——といっても、わずか一歩か二歩足を出すだけのことだが、それすらも面倒くさい。

そんな怠惰全開なわたしは「とりあえず、寝るか」ということで、ベッドの上にアルマジロのように丸まったのである。

 

しかしながら、ここでガッツリ寝る気などないため、ベッドの足側に頭を向け、掛布団を丸めた上に頭を乗せるという、本当に「ちょっと仮眠をとる程度の姿勢」を示した。

正確には、頭の向きは足側というより斜め横になっており、わたしの体はベッドに対してほぼ直角に横たわっているため、誰がどうみても熟睡の態勢とは思えない。当の本人だって、この状態で爆睡しようなどとは微塵も思っていないわけで、本当に「少しだけ仮眠をとるつもり」であったことが証明されるだろう。

 

それから幾ばくかの時間が過ぎた頃、果たして今が何時なのか気になったわたしは、目を細めて壁の時計を見た——ダメだ、見えない。

そもそも昼寝をしたのは午後4時半頃だったので、その当時は照明などつけていない。よって、当然ながら今となっては室内は真っ暗。ただでさえ近眼で見えない目を、いくら細めたところで時計の針など見えるはずもないのだ。

 

この時点で、わたしは思った。「もう何時でもいいや、このまま明日の朝まで寝てしまおう」と。

時計は見えない、スマホも手が届かない——文明の利器を手放した今、わたしが得られる情報といえば太陽の光のみ。いずれ日は昇るわけで、そうすれば朝の訪れを知ることができる。

 

ある意味「デジタルデトックス」にもなるこの貴重な時間を、睡眠調整として活用するのはダブルで意味のあることだ・・と考えたわたしは、改めて静かに瞼を閉じたのである。

 

それから、何回か目を覚ましてはベランダ側のブラインドを見て、まだ夜の雰囲気であることを確かめると目を閉じる・・という動作を繰り返した後に、いよいよ朝のオーラが迫りくるのを感じたわたしは、覚悟を決めてアレクサに話しかけた。

「アレクサ、午前9時になったら教えて」

社会人たるもの、どれほど朝寝坊しようにも午前9時が限界である。

いかんせん、ある程度の怠惰が許されたとしても、職務怠慢だけはあってはならない。なぜなら、怠惰は己に返ってくる後悔や反省だが、(職務)怠慢は相手に迷惑をかける行為であり、後悔や反省すら許されない。

そんな恐ろしいことが出来るほどの勇気は、わたしには持ち得ない——。

 

というわけで、朝の9時にアレクサによって起こされたわたしは、実に17時間半ものあいだを(ほぼ)寝て過ごしたのである。

とはいえ、振り返ればあっという間の閏(うるう)時間だったが、これといってスッキリしたわけでもなければ、「よく寝た!」という感想もない。ただただ「たくさん寝た」というだけの、本当に単なる睡眠調整だったのだ。

(それでも、閏年がなければ暦はズレるわけで、なんらかの実感がなくとも必要なことなんだろう・・)

 

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