猟奇的な私

 

量子力学的な観点からすると、「ヒトが壁をすり抜ける」ということも可能。

といっても、その確率は限りなくゼロであるため、現実的には起こり得ないというのが物理学の答えだが、とてつもない数の電子の集まりでできている人体——そのすべての電子が「波」の状態になれば、量子トンネル効果により壁をすり抜けることが理論上可能なのだ。

そして、そのような天文学的確率にぶち当たることが出来たならば、「この世に生まれてきて良かった」と、心の底から思えるだろう。加えて、現実的に起こり得ない現象だからこそ、我々はその確率に憧れを抱き、奇跡を追い続けるのである。

 

・・というわけで、センサーにより自動で水が出る蛇口の下を、もの凄い勢いで行き来する手が、いつか水を通過させる日が来るのではないか、という実験を繰り返すわたし。

 

元はというと、洗面台の周囲に飛び散った水滴をペーパータオルで拭き取っていたのだが、蛇口周辺を拭こうとするとセンサーが反応して水が出るため、何度拭いても水浸しになる——という茶番を演じていた。

だがある時、普通に手を洗おうとしたところセンサーが感知せず、水が出なかったことにヒントを得て、「だったら、センサーに気取られない速さで手を移動させれば、蛇口周りの水滴を払拭できるのでは?」と思い、何度も試してみたのだ。

 

ところが、そういう心積もりでセンサーと対峙すると、さすがは最先端の英知を終結させた科学システム。百発百中の確率で、見事に我が腕に反応するではないか。

ならば、「センサーを騙すことよりも、水が腕をすり抜ける・・または、腕が水をすり抜ける確率を追究することで、洗面台の拭き掃除を完遂させようじゃないか」と考えたのである。

 

こうしてわたしは、蛇口の下で何度も何度も腕を素早く左右へ動かした。言うまでもなく、わたしの腕に弾かれた水滴が洗面台の周囲へ飛び散り、何度も何度もペーパータオルで拭き取る作業を繰り返した。

(わたしって、一体なにをやってるんだろうか・・・)

 

普通に考えれば「水と紙とセンサーの無駄遣い」であり、そもそもセンサーが反応する位置に手を通さなければいいだけのこと。つまり、蛇口の下を通すのではなく、左右から中心に向かってそれぞれ拭き取れば、いとも簡単に問題は解決する。

にもかかわらず、わたしは己の意地とプライドを賭けた「奇跡」に挑んでいるため、何度やっても成功する瞬間など訪れない不毛で無意味な行動を繰り返していた。しかも、なぜそんなバカげた挑戦を続けているのか、本人にも分からないわけで——。

 

「そろそろ(練習を)始めますよ~」

 

なにかに取り憑かれたかのように、サッサっと一心不乱に腕を左右に動かすわたしは、突如、友人から声をかけられたことで我に返った。

——あぁ、こうしてまた遅刻するのか。