久しぶりに右手の親指を負傷したわたしは、おそるおそるピアノに触れてみた。すると案の定、痛くて鍵盤を押すことができなかった。
これまでも幾度となく指の怪我を繰り返し、そのたびに使い物にならない経験を味わってきたので、指の怪我自体はそれほどナーバスな問題ではないのだが、使える道具を一本失ったことによる「代替手段」の創出こそが大変なのだ。
手の指について・・というかピアノを弾く際の指の役割について、大きく分けると「親指」と「その他の指」の二種類に分類することができる。
テーブルの上にフワッと手を置いてみると分かるが、人差し指から小指までは指が保つ自然なカーブに沿って垂直に下りているのに対して、親指はちょっと違う。そもそも親指は自ずと内側を向くので、指の側面がテーブルに触れる形となり、物理的な方向としては垂直に下ろすのだが、指的には側面がテーブルに触れている・・つまり、指の上げ下げをするならば「横へ動かす」という感覚になるのだ。
この特徴のおかげで、いつもならば親指を捻挫してもどうにか音を出すことができるのだが、今回は派手に痛めたこともあり、今までのように「(音が出るところまで)鍵盤を押し込む」という動作ができなかった。
(ヤバイ・・痛くて音がでないぞ)
しかも明日は、月に3回しかない師匠による貴重なレッスンの日ではないか。この日のためにコツコツと積み上げてきた練習の成果が、親指の怪我ごときで発揮できなくなるのは到底受け入れがたい。ここは何としてでも弾き切らなければ——。
まずは、なにがどのくらいできるのかを確認するべく、無理のない範囲で曲をさらってみた。だがやはり、どの角度で親指を下ろしても音が出る速さで叩くことはできなかった。
ちなみに、ピアノで音を出したり音の大きさをコントロールしたりするのは、鍵盤を押す強さではなく「速度を変えること」で決まる。そのため、軽い力でも素早く叩けば大きな音が出るし、全力でゆーっくり押し込めば音は出ない。そして今、我が親指はスピードにも重さにも耐えられない状態にあるため、どうやっても音を出すことはできないのだ。
そこでわたしは、親指をテーピングでガチガチに固めて再度挑戦してみた。固めているとはいえ、親指に重さがかかれば激痛が走るのであまり意味はないが、それでも「間違って触れてしまった!」というくらいの無意識の感覚で打鍵する分には、何回かに一度は「誤って音が出る現象」を誘発することに成功した。
よし、この作戦を多用しよう——。
無論、他の指を使って親指の代わりにしたり左手でカバーしたりもするのだが、とはいえ絶対的に親指でしか担えない箇所というのも存在するため、そこだけはどうにか踏ん張ってもらうしかないのだ。
(痛いのは分かっている。こんなにも腫れ上がり、派手に内出血もしているのだから、わりとしっかり負傷したのは間違いない——だからこそ痛いのだ。その上で、痛いからやめるのか? 痛いからレッスンをキャンセルするのか? もしも次回のレッスンがないとしたら・・これが、人生最後の師匠との時間になるのだとしたら、それでもお前は指の怪我を理由に「ピアノを弾かない」という選択ができるのか??)
自問自答の末にわたしの覚悟は決まった。いや、むしろ精神の方向性が明確になった、と言うべきか。要するに、痛いのを承知で打鍵するから気おくれして腰が引けるのだから、「鍵盤に触れるつもりはなかったが、誤って触れてしまった結果、偶然にも音がでた」というテイで弾けばいい。そう、盛大な勘違いをすればいいのだ!!
これこそがわたしの持つ最大の武器であり特技でもある、「必殺・思い込みの術」である。恣意的に勘違いを行うことで、あたかも偶然そうなったかのような錯覚を引き起こす、高度な心理操作テクニック。そんな必殺技を引っ提げて、わたしは師匠の元へ向かうのであった。
果たしてこれが、芸術といえるのかどうか——心身が不十分な状態で演奏することを良しとしない師匠ゆえに、まともに弾けない状態でのこのこやって来たわたしが叱られるのは目に見えている。
それでも、「戦争中に指を負傷した兵士が奏でる、ちょっとした安らぎ」だと思って聞いてもらえれば・・いや、きっと「音が出せるようになってから来なさい」と言われるのだろう。










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