観客もラクじゃない

 

つい先日、自分がステージ上で演奏した身としては、「観客」というのがこんなにも大変な役回りだとは思いもしなかった。

これはどちらかというと、演奏しているほうが気楽かもしれない——。

 

 

ヴィオラ弾きの友人が参加する”弦楽四重奏”を拝聴するべく、わたしは横浜にあるとあるホールを訪れた。

音響などを考慮すると真ん中あるいはやや後ろがいいのだろうが、いかんせん生演奏による弦楽四重奏のため、「できれば間近で観察したい」という思いから、最前列を陣取り至近距離で弦楽器の調べに酔いしれることにした。

 

そういえば、自分のピアノ発表会で友人からドレスコードを尋ねられた時には、「そんなの気にせず、普段着で気楽に来てよ!」などと笑い飛ばしていたくせに、いざ自分が客となると「あのぉ、服装はどんな感じで・・」と、念のため確認をしてしまう慎重さを受けて、

(あぁ、みんなこんな感じだったのか)

と、今さらながら友人らの気持ちを理解するわたし。アマチュアの演奏会なのだから、出演者はステージ衣装でも観客はそれこそジーパンTシャツでOK。それでも、クラシックコンサートとなるとどこか身構えてしまうから、なんとも不思議である。

 

そしていよいよ演奏が始まった。曲目は、ベートーヴェン作曲/弦楽四重奏第7番「ラズモフスキー第1番」——ベートーヴェンの創作中期を代表する傑作と呼ばれ、ウィーン駐在のロシア大使であるラズモフスキー伯爵の委嘱により作曲されたもので、従来の四重奏曲の枠組みを大きく押し広げた意欲作(プログラムより抜粋)と評されている楽曲。

それにしても、知り合いが出ているというだけで、なぜかこちらがドキドキしてしまうのはステージあるあるだろう。普段とは異なるドレス姿の彼女と、ヴァイオリンより一回り大きい「ヴィオラ」の音色に、気がつけばあっという間に第二楽章が終わっていた。

 

そしてアダージオのゆったりとした第三楽章に入った頃、突如、隣の客が咳き込み始めたのだ。

ここまで特に異変はみられなかったことから、わたしの予想では「第三楽章で眠気におそわれ、筋肉が弛緩したことで唾液を誤嚥し、それが気道に入り込んだ結果、むせ始めた」という仮説を立てた。

当の本人も突然の咳に驚いている様子だが、こればかりは反射的に起こるものなので防ぎようがない。そして、静かなメロディーが響き渡る最中どうにか咳を止めようと踏ん張るも、努力虚しく大きく咳き込む・・という最悪の失態を繰り返すのであった。

 

ちなみに、ステージ上の演奏者には会場の様子が手に取るように分かる。演奏中にスマホのシャッター音が鳴ったり、咳や鼻をすする音が聞こえたり、はたまた前列の客が足を組み替えたとか頭を逆に傾けたとか、実際にはごくわずかな動作がものすごくハッキリと伝わって来るのだ。

これは「本番」という特別な環境による極度の集中状態がもたらす現象で、己の意識は演奏に注がれているが、視覚や聴覚がいつも以上に過敏になっているため、雑音やちょっとした仕草といった「あらゆる音や動き」を無意識に拾うのだ。

そして不思議と、当人はそれらの雑音を「邪魔だ」とは思わない(わたしだけかもしれないが)。逆に、静寂が過ぎるほうが恐ろしいし不自然に感じるわけで、呼吸やくしゃみ、衣服やパンフレットの摩擦音など、ヒトが発する自然音を含めて生演奏の舞台は整うものなのだ。

 

・・と、個人的にはこのように考えているのだが、とはいえ自分が観客の立場となるとそんなことは思えない。

ぴくりとも動かず呼吸もためらうほどの硬直状態で、それこそ唾を飲むのを忘れてしまうような謎の緊張を維持したまま、優雅なクラシックに身を委ねる——そんなことができるのは、よほどのお嬢さまか音楽家の家庭に生まれたご子息くらいだろう。

 

そんなわけで、凡人たるわたしはとにかくジッとしていることに全てを捧げた。最前列であることからも、変に頭を動かせば背後の客に迷惑がかかるかもしれない。同じ姿勢を続けると尻や腰が痛くなるが、今はそんなことを言っている場合じゃない。

——こうして、謎の緊張を保ったまま40分が過ぎたのである。

 

(あぁ、客というのは想像以上に大変な役回りなんだな・・そういえば、お茶会でもえらく気を使ったし、招かれるというのもラクじゃないな)

 

 

客の立場になって初めて、客として正しくあることの難しさを痛感するのであった。

 

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