生きた屍(しかばね)と化した私

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病は気から・・と言うが、わたしにとっての病は「気」ではなく「口」から始まる。

 

一般的には、嫌なことがあると気持ちが暗くなり、そこから元気がなくなり免疫機能が低下して病気になる——というのが、よくある「病は気から」のシステムだ。

しかしわたしは、精神的なことが原因で病気になることはない代わりに、口の中に傷ができると食欲がなくなり、その結果、気持ちがしょぼくれてしまい病気になる可能性がある。

正確には「食欲がなくなる」のではなく、食べ物や飲み物を口に含むと傷に沁みて痛いので、食べたくても食べられない(食べたくない)・・というのが、わたしが病気になる原因である。

 

そして今、わたしは舌に大きな傷を負っている。迂闊にも、左奥歯で舌のはじっこを噛みきってしまい、鏡で見るとグロテスクな様相を呈しているのだ。

生々しい傷口とは別に、どす黒い内出血の跡や白く変色している部分もあり、人間の器官とは思えないほど悲惨で醜悪な我が舌は、日々のルーティンであるコーヒーを飲んだだけで鋭い痛みが走るため、チルするどころか生きた心地がしない。

 

それでも、食べ物をなるべく右側で咀嚼することで、なんとか嚥下まで可能となった。

だが、舌全体で味を感じながら胃袋へ流し込むことこそが、わたしの生き甲斐だというのに、まるで生きるために食糧を摂取する・・という機能的な行為としての「食べること」しかできない現状に、もうすでにうつ状態になりつつある。

 

しかも、固形物を大きなまま飲み込もうとすると、舌の傷に触れて拷問ばりの激痛が発生するため、何度もゆっくりと噛みしめることで粉砕し、流動食にしてから流し込まなければならない。

(こんなんじゃ、食った気がしないや・・・)

栄養を取り込むための「単なる食事」ではなく、「ガツガツ食う」ことでエネルギーを蓄えているわたし。そのため、細々とよく噛んで嚥下する・・など、病気を患った人間の食べ方でしかないのだ。

 

(そんな食べ方しかできないならば、いっそのこと食べないほうがマシだ!舌の傷が治癒してから、思う存分かぶりついてやればいいんだから!!)

などと、悔し紛れに心の中で捨て台詞を吐いたところ、わたしの好物である季節の料理——具体的には、友人宅で採れたタケノコと豚肉の煮付けに、友人の地元で採れたわらびのおひたし——に手を付けていないことを不審に思った友人が、心配そうにこう尋ねてきた。

 

「いつもならなにを差し置いてでもすぐに食べるのに、どこか具合いでも悪いの?」

 

——そう、わたしはいま病気なのだ。舌の傷のせいで、どんなに新鮮で出来立てホヤホヤだろうが、味を堪能することができないのだから。

そもそも舌という器官が臓器の一部だとすると、内臓を負傷していることになるわけで、これは立派な病気・・というか怪我である。

 

そして、生きるための動力源である食べ物を、美味しくいただくことができない今、わたしはいわば「生きた屍」といえる。

日頃は何気なく口にする飲食物だが、舌や口内に傷があると、たったそれだけのことですべてが台無しになる。たとえば手足の怪我ならば、その部位を使えば痛みを感じるが、飲食の際には特段気にすることもなく、むしろ怪我のことなど忘れて食事を楽しんでいるわけで。

ところが舌や口内に傷があると、唯一の楽しみである食事が成立しないため、これは生き地獄・・つまり、生きながらにして死んでいるのと同じなのだ。

 

(あぁ、思いっきり口の中に詰め込みたいな・・)

 

口内を傷つけたことで気持ちも傷つき、そのせいで病を患っているかのような意気消沈っぷりをみせるわたし。だがこればかりは、時が解決してくれるのを待つしかない——。

こうして、辛酸を嘗めながら復活の時を待つ凡人が、ここに誕生したのである。

 

(ん?待てよ。タケノコのおむすびならイケるんじゃ・・)

強欲で自分に甘いわたしは、それでも口の中に食べ物を入れずにはいられない。

何ならば咀嚼と嚥下が比較的ラクにできるのか、手当たり次第に食べ物を頬張っては痛みに悶える・・を繰り返しつつ、今日もまた夜が更けるのであった。

 

Illustrated by 希鳳

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