生身の人間は金属塊の前では無力

Pocket

 

昨夜、地下鉄の最寄り駅から地上へ上がると、多くの野次馬とともに救急車やパトカーの赤色灯が派手に回っていた。

とりあえず、わたしも野次馬に混じって事故現場を観察してみたところ、横断歩道の少し先にタクシーが停まっており、その数メートル先にビニール傘やペットボトル飲料、革のカバンなどが散乱していた。

そして、さらにその先には男性が横たわっており、救急隊員らが胸骨圧迫からのAEDによる心肺蘇生を試みていた。

 

夜だったこともあり、路面やタクシーの状態は確認できないが、およそタクシーが歩行者をはねたのだろう。もしかすると、横断歩道を歩行中にはねられたのかもしれないが、だとするとかなりのスピードで突っ込まれている。

どちらかの信号無視が原因だと思うが、わたしが到着した頃にはすでにタクシー運転手の姿は見られなかったことから、事故現場に当事者がいない(正確には、はねられた歩行者はいたが、すぐに救急車内へ運び込まれた)状況だった。

それからしばらくすると、タクシーの表示板が「回送」から「空車」に変わったが、当然ながら乗車などできるはずもない。それを機に、わたしもその場を離れて帰宅したわけだ。

 

事故の瞬間を見たわけではないので、果たしてどのような衝撃だったのかは分からないが、車の凹みも路面の流血も見られないことから、今日になれば普段通りの都道415号線となっているはず。

そして、救急隊が駆けつけるまでにどのくらいの時間を要したのかにもよるが、AEDで電気ショックを与えたことからも心肺停止状態だったわけで、あのヒトのその後が気になる。

見ず知らずの他人とはいえ、まさか今夜、突如命を奪われるような悲劇に遭うとは思ってもみなかっただろう。道路に転がる開いたままのビニール傘と、まだ中身が残っているペットボトルのお茶が、あのヒトの日常を物語っているわけで、本当に突然、日常が非常に変わってしまったのだ。

 

そう考えると、こうしてぬくぬくと日常を過ごせていることが、当たり前のようで実はとても貴重で奇跡的な瞬間なのかもしれない・・と思ったりもする。

 

また、当事者とは別の視点から、事故現場でそれぞれの対応をする救急隊と警察官らも、慣れた身のこなしで淡々と処理を進めていたのが印象的だった。

「仕事なんだから、当たり前!」と思われがちだが、それでも生死にかかわる対応を迫られて「当たり前」の一言で片づけられるほど、人間味を失っているとも思えない。

 

立場上、不祥事だのなんだので叩かれがちな公務員だが、救急隊・自衛隊・警察官に関しては、任務の重要さからも多めに見てやりたい。

口だけの輩はどうでもいいが、手足を使って仕事をしている人間については、やはり感謝と尊敬の念を忘れてはならない。たとえば非常事態の際に、われわれ一般人は避難すればいいだけだが、彼ら・彼女らはそうもいかないわけで、「自分」を後回しにしなければならない責務について、もう少し理解と評価をするべきだろう。

 

そんなこんなで、生身の人間は車にはねられれば無傷ではいられない。

わたしは日頃から、痴漢に遭ったときの対処について脳内で繰り返しシミュレーションしているが、それは相手が生身の人間だからできることであり、相手が車となれば話は違う。

車相手にできることとといえば、避けることと逃げることくらい。ドーンと構えて投げ飛ばす・・なんてことはアニメの世界だけで、現実的にはひき殺されて終わりである。

 

・・ひき逃げといえば過去に、危なっかしい運転をしていた軽トラックに足をひかれたことがある。というか、危険運転を諫めようと、わざとを足を出してタイヤの下敷きになっただけなのだが。

(よし、足をひかれた!)

狙い通りに足を踏まれたわたしは、意気揚々と痛がる準備をしていたところ、なんと、軽トラックは何事もなかったかのように通り過ぎて行ったのだ。

「ちょっと待ってよ!いま、足の上をタイヤが通ったでしょ!!」

叫びながら追いかけるも、軽トラックは減速する様子も見せずにそのまま消え去った。

(これじゃ、ひかれ損じゃないか・・・)

——そう、まさに無駄にひかれただけだった。

 

 

まぁとにかく、人間とは思っている以上に脆くて儚い生き物である。とくに金属の前では、圧倒的に無力だ。

そういうわけで、今日も無事に生きられるよう、車やバイクといった金属の塊には注意してもらいたい。

 

Illustrated by 希鳳

Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です