日本人と米国人の決定的な違いといえば、目鼻立ち?骨格や筋肉量?肌や目、髪の毛の色?自己主張の仕方?——冷静に考えると、ありとあらゆる部分が異なるわけだが、とはいえどれも「まぁ、そんなもんでしょ」と受け入れられるレベルである。
では一体、どこが決定的な違いなのか——それは、地球外生命体(エイリアン)や未確認飛行物体(UFO)への理解というか認識というか、未知の物体に対する免疫の有無だ。
全員が全員そうというわけではないが、日本人の中高年層に対してエイリアンやUFOの話題を振ったとして、その存在について真剣に議論を交わしてくれる者は少ない。
ましてや、さほど親しくない間柄であれば、それこそヤバい奴認定される可能性が高く、興味本位にそれらの話題を持ち出すことは避けるべき。
ちなみにこれは、霊や怪奇現象についても同様のことがいえる。物理的または科学的に立証されたこと、かつ、一般的に認められていること以外——殊に目に見えない存在に対して懐疑的な日本人は、三次元以上の存在を否定する傾向にある。
だが、米国人というかネバダ州で暮らす者は違った。
いい年しした大人にUFOやエイリアンの話を振っても、誰もが真剣な表情で(内心は笑っているのかもしれないが)応えてくれるのだ。おまけに、それらの存在を信じている者の割合が日本人と比べると圧倒的に多い。
実際に、UFOを目撃したことのある人数が非常に多いのも特徴。中でも「白っぽいレジ袋や、ビニールのような細長い形状の物体を見た」とか「光の点のようなものが、カクカクとあり得ない速度で移動していった」という意見がほとんどで、我々が想像するような「メタルでできた近未来的な円盤」とは違うのが、印象的であり興味深いところでもある。
また、実際に目撃したことはないにせよ、「それらの存在を信じているか」という問いには、少なくともわたしが過去に尋ねた者らは全員「Yes」と首を縦に振った。
・・念を押すが、子どもや若者のみならず結構な高齢者までもが真剣な表情でそう答えるわけで、これは日本では到底考えられない反応といえるだろう。
かくいうわたしも、半分ネタに近い感じで「UFOをこの目で見たい!」などとアピールしているが、奇しくも一度も遭遇したことはない。それでも、UFOの存在は確実にあると信じている。
いかんせん、見間違いで済ませるにはあまりに多すぎる目撃証言の数々に、「見えない/知らないのは、自分のコンディションのせいだ」と思わざるを得ないからだ。
そう思う理由として、わたしはありとあらゆる超音波に引っかかる性質がある。具体的には、街中や住宅街で虫や小動物の侵入を防ぐための超音波装置が設置さされていることがあり、あれにわたしが引っかかるのだ。
よく「若者だけが聞こえるモスキート音ね」と言われるが、それだけではない。無論、モスキート音に強く反応するタイプなのかもしれないが、老若男女問わずわたしだけが「ギャッ!?」となって倒れるわけで、他の通行人は素知らぬ顔でスタスタ通過していくのだから、やはり「わたしだけ」が特殊な反応を示しているといっても過言ではない。
そして、唯一わたしとともに侵入を妨害されているのは——カラスだった。そもそも犬猫はその辺りにいないので、実際に効果があるのかどうかは不明だが、少なくともわたしとカラスは、何度トライしても見えない壁のようなものに弾かれてしまうのだ。
この経験からも、自分にしか分からない感覚や反応というものが存在しているのは事実。よって、わたしに見えなかったり分からなかったとしても、多くの人間が存在を認めるのであれば、それはおそらく実在する。
だが、いくら耳を澄ませてもモスキート音らしき超音波が聞こえない者にとっては、その音はないも同然であるように、いくら目を凝らしてもエイリアンやUFOを見ることのできないわたしは、目の前にいるかもしれない未確認生命体や飛行物体に気付くことなく、ボケっと過ごしているのかもしれない。
以上の理由から、わたしはまだ見ぬエイリアンやUFOに遭遇できることを期待しているが、そんなわたしの好奇心を鼻で笑うことなく受け入れてくれるのが、米国人というかネバダで暮らす人々なのである。
・・ということを、今回の米国滞在で改めて実感したわけだが、それにしてもまたもやというかやはりというか、未確認物体は未確認のまま帰国の途に就いたわたし。
彼らに遭遇する準備もアブダクションされる覚悟もできているのに、聞くことのできないモスキート音のように、一生会えずじまいで終わるのだろうか——。










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