電車の車両に対して物申す——。
今までずっと不快に思ってきたのだが、乗客が正さないのであれば車両の設計を変えることで、強制的に乗客の行動を正すしかない。そのくらい、ヒトの頭の悪さおよび自己中心的な考えを貫く姿には、堪忍袋の緒が切れそうになる。
いったい何のことを言っているのかといえば、電車のドア脇のあの微妙な空間——狛犬ポジションと呼ばれるアレを排除してもらいたいのである。
地下鉄や在来線に使われている車両は、ドアの両脇には必ずヒト一人が収まる程度の空間がある。
それは、座席の末端とドアとの間にスペースを作ることで、ドア開閉時に乗客が押し出されて怪我をするのを防止したり、車内の奥へ進みたい乗客のための流動性の確保だったりが目的なのだが、それにしても”狛犬ポジション”をキープされれば、結果的に「ドア幅の分しか空間は存在しない」のと同じである。
そして、ヒトというのは「身を隠せるスペースがあれば、そこへスッポリと収まりたい」という習性があるため、ドア脇のあの空間は誰もが確保したい絶好のポジションともいえる。そんな最高の場所を確保できたならば、自らが降りる駅までは一歩たりとも動きたくないと思うのは当然。
そんな自己中心的な欲望を貫いた結果、乗降客らのスムーズな乗り降りを阻害しているわけだ。
無論、現行の車両のままドア横に立っている客が毎回ホームへ降りれば問題はない。だが、ちょうどいい背もたれを確保できた者が、その快適さを捨ててまで他の乗客のために降車するとは思えない。
であれば、車両の設計を変えることで強制的に降車させるしかないのだ。具体的には、ドアギリギリ(最低限のデッドスペースは確保)まで座席を伸ばし、開扉時にすべての乗客がいったん外へ押し出される作りにするか、逆にあえてドア横のスペースを広げることで降車客の導線を確保するか、このどちらかだろう。
ちなみに、狛犬ポジションにいる者は彼らなりに気を使って縮こまっている場合もあるが、どれほど縮こまろうが導線の途中である事実は変わらないため、単純に「邪魔」となる。
そして、なぜかあの狭い空間にデブが立っている確率が高く、スマホをいじりながら「我関せず」といった表情で立ち尽くす姿には殺意しか湧かない。ゆえに、その醜く出っ張った腹や荷物にぶつかりながら電車を後にする客らは、全員が全員「死ねデブ」と脳内で呟いているに違いない。
とはいえ、たしかにあの場所に立つと「自分が邪魔になっている」とは思わないから不思議。
座席の端からドアの脇までの三角形に収まっていれば、最低限の導線は確保できるし乗り降りの邪魔にはならない——と想像してしまうのだが、実際のところ満員電車では乗客同士が互いに押し合いながら直立しているため、ヒトがいるだけで摩擦を生じる。そのため、たとえドア脇のデッドスペースであろうが、そこにヒトが立っていれば不要な摩擦が生じる結果、スムーズな流れを阻害することとなるのだ。
以上のことからも、個人的にはドア付近の乗客全員が一度ホームへ降りてから乗り直す・・というのが最善策なので、あの「狛犬ポジションを狭くする」という案を強く推したい。
とはいえ、なにも空間をゼロにする必要はない。仮に現状30センチの空間ならば、それを10センチまで削ればいいのだ。否が応でも人の流れで押し出されるような構造となれば、さすがにそれに反してまで狛犬を維持できる輩は少ないわけで。
さらに付け加えるならば、座席側の仕切りに傾斜をつけるなどして、立ち尽くすことが困難な形状にするのも効果的だろう。
いずれにせよ、強制的に全員がホームへ降りる構造になれば、摩擦および殺意の軽減につながるのは確実である。
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丸や四角の石でできたオブジェの前に「座らないでください」と注意書きを出したところで、素直に従う者は少ない。だが、その石の上に三角を置いた途端に、誰も座らなくなる——当たり前だ、三角形の上に座ってもくつろげやしないのだから。
ヒトは自らのことしか考えていないし、もっというと大して何も考えていない。だからこそ、無意識にそうさせない構造にすることで、大して何も考えていない多くの者はスルーすることになる。
常識だの思いやりだの民度の高さだのに期待するよりも、物理的にそうさせないことのほうが、求める結果へ確実に繋がるのものなのだ。











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