「身投げ」の内訳

 

(こんな風に間違って自殺扱いされるヒト、きっといるんだろうな)

自殺願望など微塵もなかったとしても、結果として”飛び降り自殺だと断定されてしまう可能性が”あることを知ったわたしは、「死人に口なし」の恐ろしさというか無念さにむずがゆさを覚えた。

 

なぜそのような考えに至ったのかというと、午後6時に閉まる近所のパン店へ向かうべく、キリのいいところで仕事を中断しようと思っていたのだが、なんだかんだで午後5時53分になってしまった。どうせ近所なんだから、服装は部屋着のままでもせめて顔を洗って髪の毛を整えてから・・などと考えるも、あと2分で身支度が整うとは思えず、そうなると閉店時刻までに店へ滑り込むことは不可能。

わたしは今日、あのパン店のパンを買うことだけを楽しみに生きてきた。そして明日と明後日は定休日のため、今日を逃したら水曜日までおあずけを喰らうことになる。だからこそ、なにがなんでも閉店前に飛び込む必要があったのだ。

それなのに、「もう少しだけ・・」とキーボードを打つ手を止めることができなかった優柔不断なわたしは、朝から楽しみにしていたあのパンを手に入れることなく、無駄に一日を終えようとしている上に向こう二日を棒に振ったのだから、その後悔は尋常ではない。

 

なぜもっと早く手を止められなかったのだろうか。なぜ、先にパンを買いに行くという発想に至らなかったのだろうか——。いずれも己の怠惰を優先した結果であり、後悔というより反省するべき事案ではあるが、ちょっとだけ気持ちを奮い起こせば済んだことを、いつものごとく”だらしない精神”を垂れ流しにしたことで、夢にまで見たあのパンを逃してしまったのだ。

なすすべ無しとなったわたしはこのモヤモヤを晴らすべく、なにかとんでもないことをしでかしたい衝動に駆られた。というか、物理的に不可能なことでも今のこのマインドならば可能なのではないか・・という、恐るべき勘違いが脳裏を過ぎった。

(たとえばどんなことだろう。 あぁ、マンションの最上階から身を投げたら飛べた・・みたいなことか)

 

そしてこのあり得ない現象を、なぜかさほど異常とも思わずにすんなり受け入れる自分がいた。

まぁ、羽根も生えていない人間が空中を飛べるはずもないので、踏み切ったところで飛翔は無理だろう。だが「落下するも運よく着地できて一命を取り留める」くらいの奇跡は、起きてもよさそうなものだ。

もちろん、無防備な状態で転落するのだから、どんなにラッキーが重なったとしてもさすがに無傷とはいくまい。しかしながら、少なくとも打撲程度の痛みがなければパンを買い損ねた後悔と自己嫌悪を和らげることはできないし、むしろそのために飛ぶのだから、何らかの衝撃や痛みがなければ意味がないだろう。

 

本気でこのような発想が浮かんでくるわけで、「バルコニーから飛んでみる」という危険な行為に対してなんら異常を感じない自分を冷静に客観視するわたし。そして、この状態が続くか盛り上がるかすると、本当に飛び出してしまうのだろう。

その結果、ほとんどの場合が「死」という取り返しのつかない事態を招くのだが、冒頭でも述べたとおり”死人に口なし”なので、周囲の者は「なにかに追い込まれていたのかもしれない」とか「ちょっと変わったヒトだったから、精神的に病んでいたんだと思う」などと、各々が勝手な理由を吐き、なんとなくそういう方向で落ち着くわけだ。

 

(そんなんじゃ死んでも死にきれないわな。だけど、死ぬつもりなど毛頭なくて「飛べるんじゃないか」とか「落ちても大怪我はしないんじゃないか」と思って、ちょっと踏み込んでみたらほんとうに死んじゃいました・・というのも、おそらく信じてもらえないだろうし理由が幼稚すぎて恥ずかしいじゃないか)

 

というわけで、理性を叩き起こして「バルコニーから飛ぶこと」について考え直したわたしは、風呂に湯を張り2時間ほど湯船に浸かることにした。その結果、まさかの脱水症状による極度の枯渇で、危うく意識を失いかけたのはご愛敬、ということにしておこう——。

 

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