専門学校卒>>早稲田大学卒

 

(やっぱり、専門学校へ行くほうが意味あるわ・・)

痛すぎて上がらない腕を見つめながら、わたしはつくづくそう思うのであった。

 

 

大学時代に何を学んだのか、あるいは学んだことが社会で役に立っているのかと聞かれれば、残念ながら口を閉ざす以外に答えはない。そもそも、授業や講義について思い出せることがないが、唯一の記憶は犯罪心理学の授業で「バウムテスト」を受けた結果、某元死刑囚と同じ絵を描いたことくらい——これでは、何のために大学へ行ったのかまるで意味が分からない。

とはいえ、大学へ行ってよかったと思うことはある。それは「友達の幅広さ」だ。高校までは地元の公立高校へ通っていたため、基本的には同じ市内に住む同級生の集まりだったが、大学になると出身地はバラバラだったり、浪人や留年のため同い年ではなかったりと、ある種の多様性に直面することとなる。

 

だが、交友関係の広さを求めるならば、わざわざ大学へなど行く必要はない。それこそ専門学校でもいいし、学校など行かずともアルバイトを掛け持ちしたって同じこと。それでも、日本特有の凝り固まった学校教育を受けたわたし(とわたしの親)は、「いまどき大学へ行かなければ就職もできない」という誤った認識のもと、なんの目的もなくたまたま合格した私立大学へ入学したわけだ。

そして時が過ぎ、大学時代に何をしたのかと振り返ると・・連日連夜、大学の裏にある雀荘でアルバイトに明け暮れていた記憶だけが、鮮明に蘇るのであった。

 

そして、話題は変わり現在——4ヶ月ほど前に、柔術のスパーリングで右肩から落下したわたしは、受傷から数ヶ月が経過するのに未だに肩の痛みから解放されずにいる。骨や神経ではなく、どちらかというと腱や靭帯を痛めている様子だが、正確な状態を把握するためにも専門外来でMRIを撮る予定だった。

しかしながら、たまたま顔を合わせた後輩——柔道整復師の資格を持っており、自身も肩を痛めた経緯のある者に、いつまで経っても痛みとおさらばできない現状を愚痴ったところ、「ちょっと見てみましょうか?」と言ってわたしの腕を取ると、おもむろに上げ下げしたり回旋させたりし始めたのだ。

 

わたし自身も、積極的に「この角度で、こういう力を加えると痛い」と示したいのだが、いまいちそのシチュエーションが再現できない。しかも、後輩がテストしてくれる動作では不思議と痛みが感じられないのだ——これって、病院あるあるじゃん。

それは、具合が悪いから病院へ行ったのに、医師を目の前にするとそこまで悪くない自分になってしまう・・という、じつに迷惑な現象のこと。そういえば過去に、めまいに襲われたわたしは耳鼻咽喉科を訪れたのだが、その際に「本来ならば頻発するはずのめまいが、まさかの一切現れない」という状況に、焦りを通り越して怒りを覚えたことがある。

めまいの検査として、「フレンツェル眼鏡(赤外線CCDカメラが付いたゴーグル)」をかけて無意識の眼振を観察・記録する予定だったのだが、こんな時に限ってめまいを起こすことができず、焦ったわたしは必死にヘドバンしたりその場へ寝転がったりと、およそまともな人間とは思えない行動に出たのだが、それでもめまいは出現してくれなかった

 

そんな悪夢がよみがえろうとしていた最中、様々な動作でテスト繰り返す後輩が「手のひらを上に向けて・・そう、その状態で腕を上げてもらえますか?」と言って、わたしの右腕に抵抗を加えながら挙上を促した——あ、あがらない!!

痛みのせいというより、そもそも力が入らないのだ。それでも頑張って挙上を試みるも、肩の内側に激痛が走りあえなく撃沈。そんなわたしに向かって、後輩は「上腕二頭筋長頭腱炎じゃないですかね、これ?」と呟いた。

 

「上腕二頭筋長頭腱炎」とは、力こぶの筋肉である”上腕二頭筋の腱”が肩の関節内で擦れて炎症を起こす疾患で、野球など肩を使うスポーツや重い荷物を持つ動作を筆頭に、加齢や猫背が原因で発症することも。症状としては、肩の前側の痛みや腕を上げ下げする際の激痛が特徴。

そして先ほどの徒手検査の結果、上腕二頭筋長頭腱炎(からの、腱板損傷やインピンジメント)である可能性が濃厚となったのだ。しかも、後輩自身も同じ症状で肩を負傷した過去があるため、痛みの出る動作や角度についてより詳細に指摘することができたわけだ。

 

無論、医療機関にて画像検査等を行ってみなければ断定はできないが、おそらく上腕二頭筋長頭腱炎を発症していたことは間違いないだろう・・というオチにしっくりきたわたし。なぜなら、明確な受傷のタイミングがあったことと、出来ない動作がドンピシャで当てはまったからだ。

そして、肩や腕の構造や仕組みについて知識があり、部位は異なれど患者への施術経験がある後輩だからこそ徒手検査で患部を暴き出したわけで、これはいくら高学歴を自慢したところで身に着く技ではない。むしろ、専門学校で学び国家試験を合格した後輩だからこそ、適切な判断へと導くことができたのだ。

 

このようなことからも、「〇〇大学卒」などという意味のない薄っぺらい肩書きにしがみつく無能よりも、確実な技術を身に着けた工業高校卒や専門学校卒のほうがよっぽど有能かつ必要な人材だと、改めて痛感したのである。

肩書きで勝負する・・というのは、いわば他人のふんどしで相撲をとるようなもの。自力で勝負ができない輩など、そもそも最初から負け犬であり土俵に立つ資格すらない——そう、これからの時代は、ニンゲン自身に何ができるのかで価値が決まるのだ。

 

(あぁ・・なんの技術も習得していない無能なわたしよりも、専門学校で知識と技術を身に着けた職人たる後輩のほうが、価値ある人材として生き残れるわけか涙)

 

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