昨年、外出先で転倒し右肩を脱臼したおっちょこちょいの母は、事故から一カ月経過した時点で「(痛み止めを飲んでいるのに)痛くて夜も眠れない」とボヤいていた。
さすがに、脱臼のみならばもう痛みは消えていいはずだし、大袈裟とはいえ「眠れない」というのは尋常ではない。そこでMRIにて内部の様子を覗いてみたところ、なんと「肩腱板断裂」を発症していたのだ。
脱臼したはずみで腱板(インナーマッスル)が骨から剥がれてしまったのだろうが、そのせいで夜間痛に見舞われていた模様。とりあえずは保存療法を試みるも予後が改善する気配がみられないため、最終的に手術を行うことになった。
ところが、この手術は予想以上の長期戦となり、手術後およそ3週間の入院かつ腕を固定するという、「右腕の絶対安静」を命じられた。
そのため、右利きの母は右肩および腕を固定された状態で、スマホをいじるのは左手——では大変なので、指ではなく音声で入力する方法を教えたところ、あっという間に使いこなせるようになっていた。
(あぁ、ヒトは何歳になっても進化成長するものなんだな・・)
そんなこんなで母が入院している間、全盲の父を一人で自宅に住まわせるわけにもいかないので、彼の実家である群馬へ強制送還することにした。
そして、人生最後となるであろう父の生家暮らしも母の退院とともに終わりを告げ、いよいよ長野の自宅へと帰還する日を迎えたのだが、自律神経に問題を抱える父は、車や電車に乗ると体温調節がうまくいかず気分が悪くなるのが常。そのため、「目が見えないこと」よりも、「気分が悪くなることでパニックになること」のほうが、一人での移動を阻む大きな要因となっていた。
・・と、ここで娘であるわたしの登場——そう、高崎駅から長野駅へ「父を送り届けるミッション」を買って出たのである。
まずは、高崎駅のホームまで兄弟により運ばれてきた父を、予め決めておいた車両の入り口でわたしが受け取る。その後、長野駅のホームにて母と彼女の妹が待ち構えているので、二人へ父を渡す——。
一都三県をまたぐ、壮大なる「父親輸送リレー作戦」を遂行する選手として、わたしに白羽の矢が立ったというわけだ。
なお、この任務は単に「父を受け取り、母の元へ送り届ける」だけではなく、父方・母方両者の親族に合わなければならないという、親戚付き合いが皆無のわたしにとっては稀有かつ難易度の高いミッションでもあった。
いくら”表面上のお付き合い”が苦手とはいえ、今後のためにもそつなくこなさなければならないし、そのためには手土産も用意しなければならない——あぁ、やっぱり他人との付き合いは面倒だ!
などと面倒くさがりつつも、ここは東京人たるプライドが黙ってはいない。早速、ガスタのバスクチーズケーキと豆源のメイプルカシューを調達し、父のバトンタッチをする際にこれらの品を手渡したのである。
(アレかな・・年齢的に、スイーツなんて好きじゃなかったかな)
両親の兄弟ということはそれなりに高齢であるにもかかわらず、そういった相手への配慮をしない自分本位のチョイスに若干の後悔を覚えつつも、とりあえずは「娘としての任務」を果たしたであろうわたしは、長野駅につくとすぐさま帰りの新幹線のチケットを購入した。
東京を出てから二時間、まさにとんぼ返りで帰宅するわたしの行動は、「ミッション」と呼ぶに相応しいものだった。
そもそも、ゆっくり滞在することを好まないわたしにとって、このくらい無駄のない旅程のほうがポジティブな気持ちになれる。終始、意味のある行動のみで終われる充実感——とでもいおうか。カフェに立ち寄る以外の行動は、わたしにとっては無意味で無価値な時間だからだ。
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そんなわけで、無事に「父」というバトンをつないだわたしは、騎手を振り落とした競走馬のごとく、身軽な状態であっという間に港区へと舞い戻ったのである。











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