気分が乗ると一つのことに何時間でも没頭する習性があるわたしは、この24時間のほとんどを障害年金の必須書類である「病歴状況等申立書」の作成に費やした。その結果、39.6度の高熱に見舞われた。
しかしながら、この高熱をウイルス性の症状・・つまりインフルエンザや風邪などではないと、自分の中でなぜか確信していた。どちらかというと、依頼人の過去から現在までを疑似体験させてもらったことによる、ある種のシンクロにより引き起こされた反応なのでは・・と感じたのだ。
そのくらい、わたしの全てを捧げて書き上げた”魂の申立書”——なんて言うと随分と大袈裟な表現になるが、渾身の一作が完成したのである。
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精神疾患、殊に「統合失調症」というのは非常に難解な病気である。
そもそも、ヒトの脳について構造や機能はかなり具体的に分かってきたが、「なぜ意識が存在するのか?」とか「なぜ記憶が残るのか、また思い出せるのか?」とか「なぜ直感や虫の知らせを感じるのか?」等、意識や思考といった高次機能に関する部分のほとんどが不明なのだから、その先にある精神疾患について解明できるはずもない。
いかんせん、脳内には860億個ものニューロンがあり、それらがどのように協調しているのかなど、ヒトの力だけは知りようもない異次元の話だろう。とはいえ、莫大な数のニューロンという電気信号のやり取りを、無意識で操っているのが我々ニンゲンなのだから、これまた不可解なものである。
そして、脳内のネットワーク(神経伝達)の連携がうまくいかず、情報の統合が乱れてしまうことで、幻想や妄想といった現実には起きていない現象を感じてしまうのが、統合失調症という病の特徴とされている。
ちなみに、よく勘違いされるのが「うつ病」との混同だが、この二つは本質的に異なる。統合失調症が「現実認識の障害」であるのに対して、うつ病は「気分や意識の障害」であり、脳機能としてはドーパミンの過活動などが統合失調症であるのに対して、セロトニンやノルアドレナリンの低下などがうつ病の発症原因とされている。
無論、両者を併発することもあるし、うつ病が重症化すると幻聴や妄想が出ることもあるので、明確な線引きができない難しさはある。それでも、そもそも病気の中身が違うということは理解しておかなければならない。柔道と柔術が違うように、ピアノとオルガンが違うように、パッと見は似ていても全然違うものなのだ。
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そんなわけで、統合失調症を患う依頼人の申立書を書き上げながら、わたしは当人の人生を疑似体験させてもらった。
生まれてから今までについて、家族の証言を元に色々なエピソードを見聞きし、当人のみならず周囲の者の人生にも触れさせてもらい、そこから得た様々な思いや出来事をしたためる——すなわち、「わたし」という翻訳機能を通じて依頼人と審査官をつなぐのが、この申立書の意義となるのだ。
余談だが、わたしはどれほど壮絶なエピソードを聞いたとしても、心が揺らぐことも感情が乱されることもない。「あぁ、そうなのか」と事実を淡々と受け止め、その時の状況をイメージするだけ。
まぁ、冷酷な性質というだけかもしれないが、必要なのは「かわいそう」とか「辛かろう」という感情論ではなく、いかに「日常生活に不便があるか」を文字で伝えられるかなので、むしろ聴取した内容をよりリアルに書き綴ることのほうが重要といえる。
そんなわけで、3枚にわたる壮絶な申立書を完成させたわたしは、高熱により意識を失った——。
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「私たちは、作曲者が見た風景や生きた時代を知るために曲を弾くの。だからこそ、好き勝手に自由に弾きたいのならば、わざわざピアノを習う必要はない。私たちは、ピアノを通じて彼らの人生を疑似体験させてもらうのだから、やっぱりちゃんと弾かないとダメよねぇ」
これは、ピアノの師匠の言葉だが、まさにその通りだと思った。
他人に起きた出来事を自分に置き換えてみれば、自分なりの感情や意識が芽生えるのは当然のこと。だが、他人が残した遺産は他人が見聞きした人生であり、それを自分のフィルターで濾(こ)してしまったのでは意味がない——。
そんなことを、障害年金の書類をタイピングしながら思い出すのであった。











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