刻々と流れゆく「時」を感じる——などというと大袈裟だが、微細ながらも確実に変化していく現実を体感するのに、「小怪我」というのはいかんせんちょうどいい。
これが大怪我ともなると話は変わってしまうが、小怪我であれば数日あるいは一週間程度で治癒するため、回復へと向かう過程を観察するのに、こんなにも分かりやすい指標はないからだ。
しかも、自分自身がナーバスになればなるほど、細部にわたって怪我の状態を気にするため、わずかな変化であっても見逃すことなくキャッチできる——そんな小怪我は、わたしにとって不幸でありながらも感謝しなければならない存在なのである。
というわけで、柔術の練習中に右手の中指を負傷したわたしは、なんとも耐えがたい苦痛に見舞われていた。とはいえ、骨折や靭帯断裂といった大怪我ではなく、単なる小怪我(文字にするならば、軽度の靭帯損傷といったところか)なので、放っておいても数日で回復するレベル。
しかしながら、怪我の痛みというより指を負傷・・すなわちピアノが弾きにくくなったことに、痛み以上の苦痛を覚えるのであった。
(発表会まであと二ヶ月。しかも今月末、サントリーホールで一曲弾かせてもらうイベントへの参加も控えている。それなのに、鍵盤を押すと中指に微妙な痛みが走る状態で、現状の最高といえるパフォーマンスが出せるのだろうか)
まぁ、これも見方を変えれば「集中できていない証拠」といえる。己が目指すことだけに集中していれば、その手前にある痛みだの違和感だのは気にならないはず。それなのに、打鍵するたびにちょっとした痛みを感じては、「はぁ・・こんなんで大丈夫なのだろうか」と不安に苛まれるわけで、だったらピアノなど弾かないほうがマシである。
それよりなにより、この状況は今日明日で改善されるものではない。奇跡的な速さで二日後・・いや、三日後になってようやく「ポジティブな違和感」に変化するレベルなので、受傷当日にいくらナーバスになっても、状態の改善にはつながらない。
そんなことは分かっている——頭では十分理解しているのだが、いかんせん迫りくる未来の予定を考えると、焦りと不安で患部が気になって仕方がないのだ。
(朝よりも痛みが増している気がするが、これは怪我が悪化したのではなく、患部周辺の状態が落ち着いてきたことで、過敏に痛みを感じるようになっただけ。そう・・そうに違いない!)
よく分からない根拠をもって、どうにか己を宥(なだ)めるわたし。
——あぁ、指先のこんな小さな怪我ごときに振り回されるとは、ヒトがいかにちっぽけで無力な生き物なのかが、今さらながら身に染みる。全身からすると極めて小さな部位を軽く負傷しただけなのに、こんなにも多大な悪影響を叩きつけてくるとは、神はなぜ我々をもっと頑丈な作りに設計してくれなかったのだろうか。
などという、どうでもいい現実逃避に思考を巡らせながら、静かに目を閉じるのであった。
*
(・・なんと、今こそが分岐点だ!)
目を覚ますと同時に、わたしは指先の怪我がネガティブからポジティブへと移行しつつあることに気がついた。
これはわたし独自の感覚ではあるが、痛みに対する違和感には、怪我の状態が悪い場合(ネガティブ)と回復傾向にある場合(ポジティブ)との二種類がある。
そのため、同じ痛みとはいえ、ネガティブな場合は早急な回復が見込めないことから気分も沈みがちになるが、ポジティブな場合は明らかに治癒へと向かっているので、心機一転(?)、怪我すらも愛おしく思えてくる。
そんな、「ポジティブとネガティブの分岐点」にあるのが今朝・・というわけだ。
しかしながら、この感覚は本当に不思議なもので、具体的に何がどう変わったということもないのだが、どことなく「峠を越えた感」が得られるうえに、怪我の状態が確実に好転していくのだ。
よって、非科学的ではあるが信頼に足る感覚であることは間違いなく、これを得られれば「怪我という不幸なイベント」も、上から目線で満喫できるようになるのである。
*
さて、今日はピアノのレッスンの日。微妙な分岐点にあるこの指で、いかほどの演奏を披露できるのか——それこそが、実力の見せ所。
このように、柔術という格闘技で指を酷使しつつも、ピアノという至高の芸術に勤しもうとする、稀有で愚かな者がこの世には存在するのである。




















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