敵に塩を送る・・いや、敵の水を奪う

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常套句として用いられる「殺るか殺られるか」は、実際に殺人を犯すことではなく、そのくらいの意気込みで戦え・・という意味で使われるわけだが、とはいえここが戦場だとすれば、わたしの対戦相手は敵であり、どちらかが死ぬまで戦い続けなければならない——そんなことを考えながら、わたしはブラジリアン柔術の試合会場、しかもあと数分後に試合が行われるマットの前にいた。

(しまった・・喉が渇いた)

600ミリリットルの水を持参していたが、最後の一滴を飲み干してしまったわたしは途方に暮れていた。今さら飲み物を取りに行くことはできない・・いや待てよ、二階の観客席からペットボトルを投げてもらえばワンチャンあるんじゃ——それはさすがに無理だ。危険行為とみなされ、試合以前にマナー違反で失格となるかもしれない。

だが喉は乾いているし、もうすぐ試合が始まってしまう。なんとかして水分を補給しなければ——。

 

なんの妙案もなくただキョロキョロしていたところ、よく見ればすぐ後ろに師匠が立っているではないか!

(おぉ、そういえば師匠がいるじゃないか!弟子のために水を与えるのは当然の義務。よし、師匠から分けてもらおう)

「渡りに船」とはまさにこのこと。どんな友人から水をもらうよりも確実・・というより、必然的な関係性である師匠が持っている水ならば、安心して水分補給ができる——そう思いながら、師匠の元へ行くと「先生、喉が渇いて死にそうなので、水をいただけませんか?」と、はにかみながら告げた。

 

すると師匠は、持っていた袋に手を突っ込み飲み物を探す素振りを見せた後、「あの水を飲んだらいいんじゃないですか?」と、対戦相手の足元にある水を指さしたので、「ダメに決まってるじゃないですか!!」というコントに発展した。

(まずい、このモードの師匠は絶対に水を与えてはくれない・・かといってこの場に味方は彼しかいない・・・これはもはや、敵陣から水をもらうしかないということか)

敵陣といえど、全員知り合いである。しかも都合のいいことに、車椅子に乗せられた友人の膝には、ペットボトルの水が置いてあるではないか——ん?なんでアイツは車椅子なんかに乗っているんだ。

 

どうやら、試合中に膝が逆に曲がった友人は、道衣の上から弾性包帯でグルグル巻きにした状態で、車椅子に乗せられてチームメイトの応援にやって来た様子。しかも、試合会場で道衣のまま車椅子・・という見慣れぬ光景は、試合試合以上に注目を浴びていた。

だが今は、彼女の膝を心配している場合ではない。水分がなくなればヒトは死ぬ。そんな死活問題に直面しているのはわたしのほうで、むしろこちらが岐路に立たされているのだから。

 

そこでわたしは、決死の覚悟で敵陣が集まっているところへ突入すると、

「あのぉ・・・水を分けてはもらえないでしょうか・・・」

そう言いながら、車椅子の友人の膝の上に横たわるペットボトルを指さした。

 

友人とはいえ、ここは戦場である。しかもわたしは次の対戦相手であり、彼ら彼女らの大将と相まみえるわけで、そう簡単に敵に塩を送るような真似はできまい。むしろ、ここで塩ならぬ水を送らなければ、わたしが衰弱するのは必至。どうせならそのくらい追い込んでおくほうが、敵陣にとっての勝利がより濃厚となる。

だが思いのほかあっさりと、敵はわたしに塩を送ったのだ——むむ、これはおかしい。

本来ならば、ここは極力意地悪をするべき場面である。にもかかわらず、すんなりと水を差しだすとは何か裏があるに違いない・・さては毒か。

 

——いや、それはない。なぜなら、わたしが指名したペットボトルはすでに開封されており、友人が飲んだ後・・要するに毒見後の状態だからだ。しかも敵陣から差し出された水ならば怪しいが、わたし自身が指名したペットボトルなわけで、ここへ毒を盛るにはさすがに時間が足りない。

あのドナルド・トランプも言っていた。マクドナルドでハンバーガーを買う際に、自分のために特別に用意されたものではなく、雑多に積み重ねられたものの中から適当に選ぶ・・と。そのくらい、命を狙われる者は用意周到なのだ。

 

というわけで、敵陣から水を奪うことに成功したわたしは、ありがたく水分摂取をさせてもらった。しかもその水は、生ぬるい普通の水であるにもかかわらず、なんとなく美味かった。

 

 

何はともあれここは戦場であり、こともあろうか敵から水を奪ったのは、会場広しといえどわたしくらいだろう。勝負には負けたが、別の意味で爪痕を残せたことには満足なのである。

 

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