CRAZY CLAIMER(クレイジー・クレイマー)

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オリンピックをチケットなしで観戦した人はいるだろうか。

少なくとも、転売規制が厳しかったロンドンオリンピックでは、まずいないのではなかろうか。

 

手持ちのチケットを売る場合は、会場入り口にあるチケットボックスで売るのだが、購入はオンラインのみ。

チケットボックスでどんなにゴネようが、売ってくれ!とすがりつこうが、シッシとされるだけ。

 

強行突破を試みようものなら、ゲートで待機しているミリタリーポリスに撃ち殺されるだろう。

 

そんな厳戒態勢のなか、チケットなしの私がロンドンオリンピックを観戦できたことなど、誰が信じるだろうか。

 

 

とにかく時間がなかった。

飛行機もホテルもギリギリに予約し、チケットは日本で受け取ることができず、宿泊先のホテルへ送ってもらうよう手配した。

 

夜遅くにチェックインし、同時にフロントでチケットを受け取る。

 

ーー無事、手元に届いて一安心

 

なんせ翌日の試合なのだから、もし届いていなかったら一巻の終わりだ。

海外のチケット販売サイトゆえ怪しさもあったが、意外と信頼できるものなのだなと感心した。

 

部屋で荷物をほどきくつろぐ。

ベッドに横になりながら、明日の試合時間を確認しようとチケットを開封する。

 

???

 

私は、ピストル射撃のチケットを購入したはす。

だが、目の前にあるのは「レスリング/グレコローマン」と書かれたチケット。

 

当時、格闘技もしていなければレスリングなどまったく興味のない私。

 

ーーグレコローマンってなんだ?

 

シングレット(レスリング選手が着用するレオタードのようなユニフォーム)のムキムキ同士が戯れる姿(ロマン・・)を想像した。

いやいや、それの何が楽しいんだ。

 

格闘技をたしなむ今となっては、間違いなく面白いはず。

むしろ頼み込んででも観戦したいくらいだ。

 

しかし当時の私は、背中を追い続けた先輩の応援にロンドンまで駆けつけたわけで、それ以外の試合など見る価値も必要もなかった。

 

到着したてのロンドンで、私はプチパニックに陥った。

しかしもはやどうにもならない。

 

 

翌日ーー

ありとあらゆるコネを駆使し、ピストル射撃の関係者からなんとか1枚だけ、チケットを入手することに成功。

実は今回、私一人ではなく友人と2人で訪れている。

つまり、どちらか一人しか観戦することができない。

 

射撃に興味などない友人を強引に連れてきたため、このチケットは友人に譲るべきだろう。

そうなれば私は自力で突破するしかない。

 

もちろん友人は遠慮した。

 

「オマエが先輩を応援しないでどうするんだ?」

 

そのとおりだ。

だが心配するな。

 

「私はかならず突破するから、後で中で会おう」

 

そうカッコよく言うと、友人を突き飛ばし入場ゲートへ向かわせた。

 

これまでもこんな試練は幾度となく乗り越えてきた。

今回だって必ずクリアできる。

 

私は、レスリングのグレコローマンのチケットを片手に、チケットボックスへ向かった。

 

 

すでに何人かのチケット難民が並んでいる。

そして全員、あえなく退散させられる。

 

「あの、私チケット詐欺にあって、こんなチケットが届いたの」

 

とりあえずグレコローマンを見せる。

ほぅ、という表情の男性。

 

「チケット、どうしたら買えるのかな」

 

手ごたえがないので、とりあえずチケットの入手方法を尋ねる。

案の定、ネットでしか買えないよとあしらわれる。

 

1時間後の試合の応援に、はるばる日本から来たと主張。

それは残念だったね、と言ってはくれるものの心にもない表情。

 

「私は今日のために会社を辞めてきた!」

 

とうとう嘘をつく。

しかし、それは我々には関係のないことだと突っぱねられる。

(そりゃそうだ)

 

「仕事も失い、ロンドンに着いたらチケット詐欺にあい、私は何のためにここへ来たんだ!」

 

そして号泣。

泣いたところで状況は変わらない。

 

「私のピストルの先輩が出るんだよ!金メダル取るんだよ!」

 

もはややけっぱちで、だが半分真剣に泣いた。

これは本当だからだ。

本当に、先輩は金メダルを取るんだから。

 

当時、世界ランキング1位の先輩は、日本人金メダル第一号となることを期待されていた。

品行方正、アスリートの鏡のような人。

どうしても金メダルを取ってもらいたかった。

それを見届けるために私はここまで来たのだ。

 

「ほら見て!私のピストル所持許可証!」

 

ここまでくればなんでもありだ。

日本語で書かれたピストル所持許可証を開き、アクリル板越しにグイグイ押しつける。

ついでに私がピストル射撃をしている画像や、マイピストルの画像までスマホを押し当てながら見せつけた。

 

それが何なのか、イギリス人にとっては知る由もない。

だが、このクレイジーな日本人の気迫は尋常じゃない。

 

奥から金髪の女性が顔を出す。

 

「先輩の名前はなんて言うの?」

 

「トモユキ マツダ」

 

先輩の名前は、松田知幸。

神奈川県警の現職警察官であり、日本のピストル界をけん引し続けた射撃界の至宝。

北京オリンピック50メートルピストルでは8位入賞にとどまったが、ワールドカップや世界選手権では常にトップに君臨する実力者。

 

その松田さんがいよいよ、メダルを首にかけるときがきたのだ。

 

「マツダは知ってるわ、彼は素晴らしい選手よね」

 

金髪の女性はほほ笑む。

そしてため息をつきながら、一枚の紙を投げつけてきた。

と同時に、シッシと追い払われた。

 

「何度も言うけど、ここではチケットを売ることはできないの」

 

やっぱりダメだったかーー

投げつけられた紙きれを拾う。

 

ーーこ、これは?

 

「風でなにか飛んだようね。それ持ってさっさと消えなさい」

 

なんと、その紙きれはチケットだった。

顔を上げるとスタッフ全員が私に向かってサムズアップしている。

 

「私たちもマツダの金メダルを楽しみにしてるわ、グッドラック」

 

そう言い終わると厳しい表情になり、シッシとされた。

私は心の底から感謝した。

流れる涙は本物の涙だった。

 

 

一部始終を見守っていた友人は、涙をぬぐいながら戻ってくる私を見て自分のチケットを差し出してきた。

シッシと追い払われて、泣きながら戻ってくればまず間違いなくダメだったと受け取るのが自然だ。

 

しかし私が、握りしめていたしわくちゃのチケットを見せると、驚きながらも大笑いした。

 

「やると思ったよ」

 

ロンドンオリンピックでチケットボックスからチケットを引き出したのは、多分、私だけだろう。

 

 

その松田さんが、自身の誕生日でもある12月12日に現役引退を表明した。

 

2017年ワールドカップファイナル「10メートルエアピストル」では世界新記録をマークするなど、まだまだ世界の第一線で活躍できる実力を誇る。

 

それでも、

「東京オリンピックは若い人に頑張ってもらいたい」

と、後進に道を譲る姿は松田さんらしいともいえる。

 

民間人であり、ピストル射撃の末端選手である私にすら、偉ぶることなく柔和な態度で丁寧な指導をしてくれた。

そんな人柄だからこそ誰からも愛され、応援され続けたトップアスリートだった。

 

だが本人はアスリートであることを前面に出さず、

「僕の仕事は警察官だから」

と、常に毅然とした態度を貫く。

そんな松田さんに憧れてピストル射撃を始めた人も多いはず。

私もその一人だった。

 

 

松田さん、たくさんの夢をありがとうございました。

 

 

Thumbnailed by オリカ

 

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