——わたしの人生もここまでか。
そんなはずはないのだが、それでも覚悟を決める間もなく不慮の死を遂げるよりは、予め終わりを認識した上で吹っ飛ぶほうがマシである。
なぜなら、もうすぐわたしは小型核爆弾により木っ端微塵となる可能性があるからだ。
*
平和ボケした日本において、テロによる爆破など起こりえない・・と考えるボンクラは多いだろう。だが、着実に移民大国となりつつあるわが国において、テロ組織のメンバーが潜入していないとは言い切れない。
おまけに、移民大国の称号のみならず”スパイ天国”というありがたくないネーミングまで授けられているわけで、もはやすべての外国人を疑いの眼で見てしまうのも致し方のないこと——。
そんな偏見にまみれたわたしは、すでに到着している西武秩父駅にて、いそいそとパソコンをしまうとコートを羽織り、座席に忘れ物がないかの確認をした。
電車の座席に忘れ物・・といえば、13年前のロンドンオリンピックの際に、地下鉄車内にスマホを置き忘れた苦い思い出がある。正確には、座席に置き忘れたのではなく、尻のポケットに入れていたスマホが、シートと背もたれの隙間から椅子の内部へ滑落したことに気付かぬまま下車した・・という感じだが、未だにあの時の悔しさと己の間抜けさを忘れることはできない。
それからというもの、いかなる交通機関を利用しようとも、下車する際には必ず振り返って忘れ物がないかを確認するようになった。——さすがは人間、痛い思いをすると成長するものなのだ。
そんなわたしが、立ち上がって座席を振り返ろうとした瞬間、自身のシートへ目をやるよりも先に、明らかに違和感を覚える光景に出くわした。
車内の乗客はわたし一人。しかも終点なので、連結する前後の車両にもヒトは残っていないだろう。終点だからとノロノロ降りる準備をしていたわたしが悪いが、どう見ても半径10メートル・・いや、20メートル以内にヒトは存在しないのである。
このような孤独な状況下にて、わたしは、荷物棚に不自然に残された真っ黒なスーツケースに目が釘付けになっていた。
(いやいや、あれはどうみてもおかしいだろう。ちょっと置き忘れたレベルの荷物ではないし、むしろわざと遺棄したと考えるほうが自然・・ということは、アレの中身は爆弾ということで異論はないだろう)
見れば見るほど、スーツケースを装った小型核爆弾にしか見えない。おまけに、雑に貼られた透明な養生テープがさらなる不信感を煽っている。
・・もしも、秩父へ観光に訪れた客の持ち物だとすれば、少なく見積もっても3泊4日以上の衣服が収納されているはず。つまり、宿泊前提でここまで来ているわけだから、お泊りセットを運び忘れるはずがない。仮に、百歩譲って都内からフラッとやってきた者だとしても、荷物棚にリュックを置き忘れる可能性はあっても、大きなスーツケースの存在を失念する・・というのはさすがに考えにくい。ということはやはり、不審物である可能性が濃厚——。
当然ながら、わたしは今すぐこの場を離れたかった。だが、敵が遠くからモニタリングしているとすると、慌てふためくターゲットの姿ほど痛快なものはないだろう。それを知りながら、みすみす相手の術中にハマるような真似はしたくない。ましてや、「いい気味だ」と笑われながら起爆スイッチを押されような、屈辱的な死に方だけは願い下げである。
(どうせ死ぬなら、颯爽と胸を張って散りたいではないか)
そう考えたわたしは、あえて急ぐことなく淡々と座席のリクライニングを戻し、空になったコーヒーカップをまとめ、立つ鳥跡を濁さずの精神で車両の出口へと向かった。
背後からいつ爆発の衝撃が襲ってきたとしても、驚くことも狼狽すること泣き叫ぶこともなく、ただただ卑劣なテロ行為を全身で受け止めてこの世を去るだけだ——。
深呼吸しながら3号車のドアを通り過ぎると、静かに電車の外へ出た。そこには、もはや春といっても過言ではないほどの、清々しく麗らかな青空と太陽が待ち受けていた。
(ようやく春が来たのか。あぁ、もう少しだけ生きていたかったな・・・)
そんな後悔に似た想いを滲ませながら、わたしは誰もいないホームをゆっくりと歩き出した——おかしいな、まだ爆発しないのか。
すると改札の向こうから、一人の男性が小走りに戻って来るのが見えた。このホームは特急専用のため、上り列車の準備をする時間を含めてあと30分は乗車できないはず。それなのに、列車に向かって走ってくるということは——あいつが犯人か。
そう、荷物棚に置き忘れたスーツケースに気付いた呑気な観光客が、改札を出てから自身の身軽さに気がついたのだろう。そして慌てて取りに戻ったのだ。要するに、あの黒いスーツケースは爆弾などではなく、なんの捻りもない単なる”荷物”だったのだ。
(・・まぁ、普通に考えればそうなるか)
春の陽気にそそのかされて、ついつい大きな荷物をも忘れてしまった・・というのが、事の真相なのかもしれない。どうせなら、置き忘れた理由を聞いてみればよかったか——。
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