もう冬は終わった・・ということで宜しいだろうか?

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(5時半なのに明るい・・)

カフェを出たわたしは、午後5時半を過ぎても日中さながらの眩い景色に驚いた。カフェの中が薄暗かったせいもあるが、少し前まではこの時間はもう真っ暗だったはず。それなのに、なんだこの気持ちがほっこりするような明るさは——。

たしかに、昼間の長さは冬至を境にだんだん長くなるといわれるが、さすがに”5時半で、すでに真っ暗”というのは、気分的にもしょぼんとなるので勘弁願いたいところ・・そんな風に思っていたのもつかの間、もうすでに季節は春へと歩み寄っていたのだ。

 

ということは、わたしが苦手とする寒い冬はもう終わった・・と結論づけてもいいのだろうか。

春の訪れを告げる「立春」も過ぎたわけで、これはもう”冬の終わり”というより”春の手前”と呼んだほうがしっくりくる気がする。ならば・・と、今シーズンを振り返ってみると驚きの事実が発覚した。

 

とにかく寒がりで有名なわたしは、分厚いネックウォーマーを首に巻くのが真冬の風物詩(?)となっている。口元どころか目の下まですっぽりと覆ってしまうほどのサイズで、まるでモコモコのぬいぐるみを貼り付けているかのようなボリューム感は、いかなる寒さにおいてもわたしに温もりと希望を与えてくれた。

そんな「魂の防寒具」を、わたしは今シーズン着用していないではないか——。厳密には一度だけ着用したのだが、それは「フリ」に近いものだった。なんせ、「もう真冬だし、そろそろこいつの出番かな」という程度の登場をしただけ。そしてその後も、魂の防寒具を必要とするほどの寒さは訪れず、「今日こそは!」を繰り返した結果、立春も過ぎてついに二月半ばへと突入してしまったのだ。

 

とはいえ、もしもこのまま寒波にも見舞われず順調に春を迎えるとなると、どう考えても”今年は暖冬だった”ということになるだろう。そうなると、シベリア寒気団的な高気圧は一体どこへ身を潜めたのか——。

これこそが地球温暖化のリアルな影響なのかどうかは不明だが、「極度の寒がり」で名を馳せるわたしがあのネックウォーマーを着けていない・・という事実こそが、紛れもなく暖冬であることを証明している。そんなわけで、個人的には「命拾いしたかのような安堵と感慨深さ」に胸をなでおろすこととなるのだろう。

 

そしてもう一つ、昂(たかぶ)る気持ちを抑えられないほどの奇跡が起きている。それは、「静電気による攻撃をほとんど受けていない」という事実だ。

身も心もカサカサに乾いているわたしは、毎年冬になると静電気の餌食となる。それこそ、化学繊維の衣服を避けようが静電気除去のグッズを持ち歩こうが、なんら意味をなさないほどパチパチと、陰湿かつ地味ながらも確実な痛みを伴う”見えない攻撃”を受けるのである。

 

——あぁ、あれだけは勘弁してもらいたい。身体的な痛みにはかなり強いほうだと自負するが、静電気の恐怖はちょっと耐え難いものがある。

実際にはたった一瞬の刺激であり、骨折や肉離れのほうが明らかに痛いはず。それでも、静電気のパチッ!という音と痛みは人間の遺伝子に刻まれた恐怖の一つ・・といっても過言ではないほど、精神的苦痛を伴う”事件”なのだ。

 

そんな小さな恐怖を、なんと今シーズンは忘れているではないか!

もちろん、手足がカサカサしていないわけではない。常に、白く粉を吹いているかのような乾燥状態であるのは相変わらずだが、いつもならば青い火花が飛ぶ玄関の鍵穴や、ドアノブを握るまでに何十秒もかかるような金属製の扉に触れても、まるでカーボンファイバーであるかのようにシーンとしているのだ。

 

もしもこれらが暖冬の影響だとしたら——マジで毎年、暖冬であってもらいたい。

 

 

なんだかんだ言っても、完全に「春」を宣言するにはあと一カ月ほどの猶予がある。それまで気を抜けないのは確かなので、本日までの奇跡がぬか喜びとならぬよう、引き続き寒さと静電気には細心の注意を払って行動することを誓うのであった。

 

サムネイル by 希鳳

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