「老い」とは、自らが作り出す「思い込み」の権化

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「ちょっといいかしら?」

目の前をゆっくりと進んでいた白髪の老婦人が、いきなり振り返りわたしに話しかけてきた。

高齢ゆえに歩みもゆっくりなので、追い越すのをなんとなく躊躇していた時、その迷いを察知したかのような澄んだ瞳を向けられ、わたしは一瞬、戸惑った。

「どうしました?」

完全にいい人ぶって答えるわたし。

「駅の改札はどっちかしら?」

われわれも改札へ向かっていたため、このまま道なりに行けば改札であることを説明する。そしてその流れで、なんとなくご婦人のペースに合わせながらエスカレーターに乗った。

 

その女性はかなり高齢だが、身なりは小綺麗で肌もツヤツヤしていた。とくに厚化粧というわけでもなく、むしろノーメイクかもしれないが、血色の良い唇と白い歯は健康そのもの。

ふんわりカールした白髪も、およそ天然ものだろう。それより何より目力がすごい。輝いているとか光を放っているとか、そういう感じではないのだが、生き生きとしており活力を感じるのだ。

 

「私、いくつに見える?」

一般的に女性が自らの年齢を当てさせる時、それは間違いなく見た目より実年齢が上である。そして聞かれたこちらも気を利かせなければならず、もしもドンピシャで年齢を当てたりしたら、その後の空気が微妙になるわけで、ある種のテクニックが必要となる。

あまりに若すぎても嘘っぽいし、かといって堂々と実年齢近くを言い当てれば会話がしぼむ——。空気の読めるわたしと友人は、どのあたりの数字を口にしようか迷っていた。

 

「私、91歳なのよ」

われわれが考えあぐねていたところ、彼女自身が年齢を開示した。なんと91歳——。これには驚いた。お世辞抜きで、どうみても90歳オーバーには見えないからだ。

住まいは所沢で、手土産として西武百貨店の紙袋をさげて白金までやって来たとのこと。そして、俳句仲間との会合に参加するべく、待ち合わせ場所へ向かう途中なのだと。

 

(年寄りの趣味として俳句はよく聞くが、もっとインドアなイメージだったが・・)

このご婦人のオーラは、イメージ上の91歳とはかけ離れている。そうだな、70歳前後といったところか。そもそも俳句といえば、着物を着て縁側に座り、夕日を見ながら筆を走らせるもの(完全なる偏見)だが、彼女の俳句にはアクティブな要素が詰まっている気がする。

 

なんせ、所沢から池袋へ出ると西武百貨店で手土産を買い、地下鉄を乗り継いで白金までやって来た彼女。一般人でも尻込みしそうな天下の西武百貨店へ、91歳のご婦人が一人で颯爽と入店する姿は、想像するだけで神々しく眩しい。

さらに、真っすぐな背筋で堂々と闊歩する姿は、とてもじゃないが後9年で100歳を迎える老体には見えないわけで。

 

「私ね、モデルのお仕事をしているのよ。73歳からなんだけど」

まさかの告白にわれわれは驚きを隠せなかった。そして差し出された名刺には、シニアモデル事務所の名前と出演番組や舞台、テレビCMなどが記されていた。

オマケに、73歳まではそういった仕事とは無縁の生活を送っていたとのこと。人生いつどこで転機が訪れるのかは分からない。

 

「これからはシニアの時代よ。だから、あなたたちも今すぐ何かを始めなさい。今はなんでも挑戦できるんだから!」

どこをどう見ても若々しい91歳に尻を叩かれ、今後の人生について考え直すことを誓うわれわれ二人。

年齢的にも彼女には孫、いや、ひ孫もいると思われる。つまり、それなりに波乱万丈な人生を歩んできたはず。殊に戦争の話となると、目を潤ませながら言葉を絞り出す姿に、当時の苦労が垣間見えるわけで。

 

そんな彼女の言葉には、重みとともに年を取ることへの期待や希望を抱ける「なにか」があった。

 

 

命が終わりを迎えるまでの間、長いようで短い一生かもしれないが、いくつになっても「今を楽しめる人」というのが、間違いなく幸せな人生を送っている人だ。

またいつかどこかで、彼女に会えることを願いたい。そして、次はどんな「今」を語ってくれるのか、早くも楽しみである。

 

Illustrated by 希鳳

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