音の幅は、テトリス。

 

今さらではあるが、『意識を持って取り組むと、動き(結果)が変わる』ということを痛感したわたしは、これまで費やしてきた莫大な時間はなんだったのかと、茫然自失するしかなかった。

 

文字にするとあまりに簡単で当たり前のことなのだが、正確には「意識する部分を変える」と、同じ動作が違う行為になり結果が変わる・・という感じか。

たとえば、洗濯した衣服を畳む作業を「家事のひとつ」だと思って行うのと、時間制限を設けて競技化することで「家事リンピック」として挑むのとでは、同じ動作であっても意識が変わる。

その結果、単にぼーっと洗濯物を畳んでいた頃に比べて、いかに早く正確に処理できるかを追究することで、それまで考えもしなかったコツやタイミングが掴めるようになるのだ。

 

それはすなわち、「こうすれば綺麗に畳めるよ」と誰かに動作を教わったことでの変化ではなく、自分の中で効率化を極めたことで得られる動きであり、傍から見れば「ただ洗濯物を畳んでいるだけ」なのだが、当人にとってはまるで違う心境であり行為となる。

そういう「ベクトル」に脳が働いたとき、ヒトは成長を遂げるのだ。

 

かくいうわたしは、相変わらず動かない左手の指に苦戦する中、とあるYouTubeで「音が転ぶのを数分で直す方法」というタイトルの動画に目が留まった。

(もしも数分で直せたりしたら、今までかけてきた莫大な時間の無駄遣いに発狂するだろう・・)

この手の動画はタイトルで釣ることが多いので、言うまでもなく「数分で直る」などという期待はしていない。それでも、何か少しでもヒントになれば・・と、すがる思いで視聴した後に動画の内容を実践してみた。

 

すると、まさかのまさか——。音が転ぶことなく、きちんと音階が弾けてしまったではないか!!

 

わたしは、今日の今日まで一日何時間も左手だけの練習を繰り返してきた。人差し指に変な力みが入ってしまうことや、親指の動きがもたついたりコントロールできなかったりすることを、とにかく地道に少しずつでも修正できるよう、寝ても覚めても鍵盤に向かってきた。

それでも内心、薄々ではあるが気付いていた——おそらく、これは絶対に直らないだろうな、と。なぜなら、たいていのことは「すぐに」直るのがわたしの特徴であり、すぐに変化がみられないことはその先どれほど時間をかけても変わらないのだ。

 

無論、すぐに「すべてが変わる」わけではない。だが、「ちょっとした変化の兆し」を体感できるかどうかが、わたしにとっての練習の正しさであり、方向性の正誤を判断する指標となる。

そういう意味では、「とにかくゆっくり弾くことで、指の神経を繋げる練習」というこれまでのやり方は、わたしにとってはあまり効果のないトレーニングだったわけだ。

 

ところが、同じ「ゆっくり弾く」でも、意識の向けどころが違うだけでこんなにも変わるのか・・という仰天の事実が、今回の動画で紹介されていた。

 

具体的には「音の長さを、可視化できる長さに置き換えてみる」というもの。そこで、わたしは「テトリスのブロック」をイメージして当てはめてみた。

たとえば、すべての音を「4ブロック」の長さ——テトリスでいうところの”長い棒”の長さで弾く。一つ一つの音を「4」のイメージで弾くことで、途中で音が転ぶ=4未満になることを防げる。

次に、すべての音を「3ブロック」——テトリスでいうところの”3つのブロックの真ん中に凸が付いているやつ”のイメージで弾いてみる。すると、先ほどよりは一つ一つの音が短いが、それでもすべてを「3」のカウントで統一しなければならないので、音が転ぶ=3未満になることはない。

そしていよいよ「2ブロック」になり、最後は「1ブロック」にすることで、いつの間にかすべての音が「1」の感覚で弾けるようになっていたのだ。

 

わたしが意識したのは、「一つ一つの音を、同じブロックの幅で弾く」ということだけ。

たったそれだけのことであるにもかかわらず、音の幅を揃える意識だけで動かなかった指が正しいリズムを刻むようになったのだから、「いったいどんな魔法なんだ?!」と、キツネにつままれた気分になるのは想像に難くない。

ただやみくもにゆっくり弾くだけでは、求める結果に対する明確な方向性が見えない。だが、音の幅を揃える意識で取り組んだところ、脳が「動作の目的」を理解するようになり、その結果、指を動かす神経に命令が届くようになったのだ。

 

なんの目的で、どこへ向かうのか——この意識や視点が明確に可視化できれば、ヒトはどんなことでも(最低限は)できるようになるのだろう。

そして、そんな貴重なヒントをYouTubeから拾うことができたわたしは、現代に生まれてラッキーだったとつくづく思うのであった。