お笑いタレント「ガリットチュウ」の福島氏は、本業に励む傍らブラジリアン柔術という格闘技を嗜(たしな)んでいる——いや、そんな甘い表現では語弊がある。日々鍛錬を積んでいるどころか、まさに粉骨砕身の努力を重ねて柔術と向き合ってきた。
そんな福島氏は先月、ブラジル・サンパウロ州で開催されたブラジレイロ(世界三大大会の一つである、ブラジル柔術選手権大会)に満を持して出場したのだが、初戦をアッサリ一本勝ちした後の二回戦でまさかの逆転負けをくらった。おまけに、右肘からバリバリという音が聞こえるほどの——つまり、右肘の靭帯を損傷させるという結構な手土産を持たされる敗北だった。
その試合を見て感じたのは、ブラジル人に流れる血の濃さ・・言い換えれば、「脈々と受け継がれる遺伝子の強さが勝(まさ)った」という感覚だった。
福島氏に逆転勝ちした対戦相手は、容赦なくサブミッション(関節技)を極める人物として有名だったらしく、過去にも多くの選手が病院送りになっている模様。そして福島氏も、例外なく「彼の洗礼」というか「ブラジルの洗礼」を受けた。
(とはいえ、診察や治療にかかる費用は大会開催者負担ということで、海外トラブルの一つである「病院を受診する」というミッションを難なくクリアしたのは、ある意味注目に値することである)
ちなみに、試合の中盤までは福島氏が圧倒的にリードしていたため、このまま試合終了まで粘れば余裕で三回戦進出・・という流れだった。にもかかわらず、その余裕が生んだ余計な思考——この後も続くトーナメントの厳しさを考慮すると、ここで体力を削るのは得策ではないという判断が、両者の勝負を分けた。
そしておそらく、対戦相手はその油断を待っていたのだ。
こんなことを言っては失礼だが、見るからに美しい柔術・・という動きではない相手は、ある意味「やられ放題」だったにもかかわらず、彼の眼差しは死んでいなかった。なぜなら、彼が狙っているのは美しいムーブでも完璧なテクニックでもなく、相手が油断した一瞬の隙なのだから。
なんて偉そうな講釈を垂れて、「Não(ノー)!!、オレは常に清く正しい柔術を追究しているんだ!」と反論されたら謝るしかないが、とにかく彼は福島氏の一瞬の”緩み”を見逃さなかったし、待ち構えていたチャンスを見事モノにしたのである。
喰らいついたら死んでも離さない——そんな恐るべき意志というか執念が画面越しからも伝わってくる。当の福島氏も「全体重を乗せて(極められかけている)腕を引き抜こうとしたけど、ダメだった。びくともしなかった」と言うほど、尋常ではない精神力とフィジカルで相手の虚を貫いたということだ。
要するに、福島氏はフカフカの芝を颯爽と走る良血のサラブレッドで、対戦相手は不良馬場が当たり前・・いや、ばんえい競馬の輓馬(ばんば)並みにダートに特化した農耕馬だったのだ。
手入れが行き届いた欧州のターフ、あるいは均質な砂で固められた米国のダートのような、いわゆる上質な馬場ならばめっぽう強い馬であっても、重機が入る工事現場のような深い泥土を駆け抜けるのはさすがに難しい・・というより不可能。ましてや、いきなりそんな不良馬場へ放り込まれて、勝つことのほうが奇跡に近いわけで。
そういう意味でも、福島氏はブラジル人に流れる「ばんえい競馬の血」の洗礼を受けた、というのが正しい表現かもしれない。そのくらい、柔術における究極の勝敗というのは、単に技術や身体能力の差で決まるものではなく、国や地域に固有する精神力や慣習までもが影響するのだ。
だからこそ、人生初の異質な競馬を経験したサラブレッドは、今一度その舞台へ舞い戻る必要がある。
ばんえい競馬初参戦という、無防備かつ予想外のコンディションを言い訳に”負け逃げ”は許されない。脳裏に焼き付いて離れない——あの不良馬場で落とした忘れ物を回収するまでは、オールラウンダーの種馬として穏やかな余生を過ごすことなど認められないのだから。
そんなわけで、福島氏が無事に競走馬を引退できる日がくることを、楽しみに見守るとしよう。










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