「運」を引きずり出すために

 

泣いても笑っても、あと2週間と5日——刻々と迫りくる「ピアノ発表会」へのカウントダウンが、いよいよ現実味を帯びてきた。

 

わたしが通うピアノ教室は、2年に一度の周期で発表会が開かれるため、今回を逃すと再び2年待たなければならない。だからこそ、今回やり遂げなければならない「執念」があるのだ。

今回がダメでも、また次回があるさ——そう言えるのは、挑戦する機会が頻繁にある場合のみ。年に一度チャンスがあるならば、とりあえずは使ってもいいセリフかもしれないが、例えばオリンピックでメダルを逃した選手に対して「また次回、頑張ろう」とは言えない、というか言いにくい。なぜなら次回は4年後なわけで、競技のみならずその先の人生がどうなるのかなど、当人を含めて誰にも分からないことだからだ。

 

さすがにオリンピアンと比べるのはお門違いではあるが、わたしにとって2年の一度のこのイベントは、ある意味「人生を賭けた挑戦」でもある。そもそも、他人様の前かつ素晴らしい会場と貴重なピアノで、身の程をわきまえていない難易度の曲を堂々と披露するのだから、当然ながら人生を賭けなければ割に合わない。

そして、次の機会は2年後にしか訪れないとなれば、「また今度、頑張ろう!」とはならないわけで、なにがなんでも今あるすべてを出し切らなけれなならない。いや、全てを出し切っても足りないので、実力以上の何か——いわゆる「運」すらをも引っ張り出さなければならないのだ。

 

毎回、発表会を終えて思うのは、とにかくわたしは「運がいい」ということだ。言い換えれば「本番に強い」ということだが、練習では上手く弾けなかった箇所が本番で奇跡的にクリアできたり、過去イチのレベルで表現力豊かな演奏ができたりと、おそらく毎回「本番のみ成功する」という謎のラッキーを露呈し続けてきた。

そしてこの「強運」は、本番で偶然手に入れたというより、そこまでの過程が積み重なった結果、必然的に得ることとなった対価なのだと思っている。当たり前だが、努力もせずに完璧な成功や実力以上の幸運に恵まれることはない。だからこそわたしは、「運」を手に入れるだけの努力をしたのだと解釈している。

 

というわけで、発表会の大トリ(4部構成で、第4部のラストであり発表会自体のラストでもある)を務めることが決定したわたしは、寝る間も惜しんで積極的にピアノと向き合っている。移動中など時間があれば、ピアニストの演奏を視聴して「マネできる部分を盗み取ってやろう」と躍起になるなど、まさに寝ても覚めてもピアノ漬けの日々を送っているのであった。

 

そんなあるとき、どうしても弾けない「左手のアルペジオ」について、様々な演奏者の動画を見ながら研究していたところ、ふと気になる瞬間があった。

(あれ?なんだいまの残像・・)

見間違いかと思うほど、ほんの一瞬だが左手の動きに違和感を覚えたのだ。なんか変な動きをしたというか——。

 

そこで、気になる箇所をスロー再生してみたところ、なんとそのピアニストは「指くぐり」を使って弾いているではないか。

通常ならば、5・4・3・1・3・4や5・4・2・1・2・4という指使いで弾くであろうアルペジオを、5・3・「1」・2・「1」・3という感じで、「1」すなわち親指をくぐらせることで繋げていたのだ。

本来ならば前者の運指が正しいし自然なのだが、手の小さい女性や子どもにとっては、その「正しい運指」が不可能な場合もある。なんせ、曲を作ったのは西洋の大男だったりするわけで、指の長さも骨格もまるで違う日本人女性には、さすがに無理がある。

 

そこでこの「指くぐり」というテクニックの登場だ。物理的に届かない指を無理やり開いたり、手首や腕を使って強引に繋げたりすると、当然ながらミスを誘発するし乱雑な演奏になる。そのため、親指を中継地点にして中指や人差し指を放り投げる——カウボーイが投げ縄で牛や馬を捕まえるかのように、滑らかに指を放り投げることで音を繋げるわけだ。

だがこの弾き方は、太くて強い指である「親指」を多用するため、そこだけ音がデカくなったり固くなったりするリスクを許容しなければならない。しかも、滑らかで速いパッセージとなると、親指の部分で乱れることだけは絶対に避けたい。

 

しかしながら、どれほど練習してもまともに弾けないのであれば、根本から考えを改めなければならないのも事実。そして、この「指くぐり」を使えば物理的に無理なくパッセージを弾くことができる。

だったら、指くぐりを使いつつ滑らかさを保つ練習に切り替えたほうがいいんじゃ——。

 

本番まで2週間ちょっとの時点で、まさかの「指使いを大幅に変更する」という勝負に出たわたし。これはもはやイチかバチかの大勝負である。

運指に正解はない・・というか、指の長さや強さ、弾きやすさは個別にあるので、必ずしも「楽譜に書かれた指使いでなければならない」というわけではない。むしろ、無理を押して意地でも弾き続けたならば、悪いイメージや失敗を刷り込むための練習となり、当然ながらいい結果につながるはずもない。

だったら、少しでも成功する確率の高い指使いに賭けてみよう——。

 

 

こうしてわたしは、今夜も寝ずに鍵盤と対峙するのであった。「本番に強い」「運のいい」自分を呼び出すために。