・・ということで、(毎年恒例の定型文ではあるが)早いもので気づけばもう4月を迎えたわけだが、わたし自身はすこぶる覇気がない。
世間一般的には、入学や入社など人生における大きな変化があったり、新たな生活の始まりに胸を躍らせたりと、「春」という季節は大きなチカラに押し出されるかのごとく、いやでも重い腰を上げさせられるもの。
だが、わたしに至ってはこれといった変化もなく、どちらかというと「憂鬱な気分になる出来事が、引き続きまとわりついている」という感じである。
その一つは、やはり「歯」だろう。
ヒトとしてたぐいまれな咬筋を持つわたしは、嚙む力が強すぎることで己の臼歯を何本も破折させてきた。おそらく野性味が強いのだろう、人体における最硬度の武器(歯)が持つ能力を、余すところなく使い倒した結果、金属が摩耗するかのごとく歯の耐久性に暗雲が立ち込めたのだ。
当然ながら、いくつもの予防策を講じてきた。たとえば咬筋にボトックス注射を打って筋肉を緩めたり、マウスピースを装着することで歯へのダメージを軽減させたり、できる限りの物理的な対処はしてきたつもりだが、ボトックスを打っても噛む力は衰えず、マウスピースは穴が開いてしまうなど、散々な結末を迎えた。
そして先月、強靭な我が武器(歯)に新たな亀裂が入った。
幸か不幸かグラつきは確認されないため、とりあえず根管治療を施したうえで割れ目にセメントを流し込んで固める・・という選択をしたのだが、いずれは失う運命にあることは明白。それが一カ月先なのか半年先なのかは分からないが、少しでも天然歯の延命を図るべく、咀嚼の際にめちゃくちゃ気を遣うようになったのである。
とにかくゆっくり、そっと噛むこと——過去の経験からも、いきなり喰いついた拍子に歯の表面にヒビが入ったり、歯根が破折したりしてきたわけで、ここは焦らず静かに咀嚼することを最優先としよう。
——そんな食事が、美味いはずもない。やはり食事というのは、無我夢中で喰らうのが一番。それを、ちょっとずつ口へ放り込んで、治療した歯を避けて静かに咀嚼を繰り返し、味も形もなくなった時点で嚥下する・・などという食べ方をして、食事の醍醐味を堪能できるはずもない。
おまけに、割れた歯とは別の歯の奥に膿が溜まっており、そのせいで上顎の骨が溶けていることが発覚したため、そちらの治療も行うこととなった。
歯根破折したのは右の奥歯で、上顎の骨を溶かしているのは左の前歯——となると、咀嚼で使えるのは左の奥歯に限定される。もちろん、極端に強い圧力を加えたりナッツなどの硬いものを噛んだりしなければ、(治療後の)右奥歯を使うことに問題はないのだが、余命宣告を受けている歯を酷使するほど、わたしは無慈悲な人間ではない。
そんなわけで、左の奥歯という鍵られた範囲での咀嚼を余儀なくされた食事は、想像以上に味気なく、それでいて時間のかかる”憂鬱な作業”となったわけだ。
食べることこそが生き甲斐のわたしにとって、その「楽しみ方の選択肢」を奪われた今、人生が灰色であるのは言うまでもない。そこへ輪をかけて、ダイエットという苦行の成果が微塵も現れない——しかも1キロ・・いや、1グラムも変化がない——という現実が、さらなる憂鬱に拍車をかけた。
そもそも、この”下腹部の出っ張り”が筋肉であることは理解したが、それにしても今まで気にならなかった(あるいは気づいていなかった)ことが疑問である。これはやはり、何らかの病気なのかもしれない——。
そんな一抹の不安を拭えないわたしは、ついに消化器内科の受診を決めた。病院へ行く・・という行為は決して明るい気分にはなれないが、悶々とするくらいならばハッキリさせるべきなのは言うまでもない。
そう、昨年末から続くこの茶番(?)に、ついに終止符を打つ時が訪れたのである。
そして最後に、4月だというのに明らかに肌寒さを感じる気温と、短命な桜に嫌がらせをするかのような雨模様の空が、追い打ちをかけるかのように憂鬱な気分へと誘(いざな)っている。
脳が単純な作りでできているわたしは、天気がよければ機嫌もいい。たったそれだけで鬱々とした気分も晴れるわけで、だからこそ快晴が続く砂漠地帯が好きなのだ。
それなのに、見上げる空は曇天で今にも雨が降り出しそうな気配——あぁ、憂鬱だ。
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以上が、新年度を迎えた非フレッシュマンの憂鬱な独り言である。











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