オンニハ岩デス

 

言葉が通じないとき、表情やジェスチャーを使ってどうにか伝えようとするが、それだと一瞬の感情表現で終わってしまい会話には至らない。

そんな時、母国語でなくとも共通言語があれば、正確かつ十分に気持ちを伝えられるのに・・と、残念に思うわけだ。

 

そこでわたしは、外国語の中でも接する機会の多いハングル語を、韓国人の友人から学ぶことにした。といっても、ハングル語教室のように「正確な文章による会話(日常的には不自然な会話)を読み上げる」とかではなく、今わたしが伝えたい言葉をその場でハングル語に訳してもらうというもの。

 

しかも、教わる場所というのが柔術の道場なので、発する言葉はある程度限られてくる。たとえば「疲れた」とか「暑い」とか「できてるよ」など、ふとした瞬間に口を突いて出るセリフを教わっている。

さらにバリエーションとして「めっちゃ暑い」「もうすでに疲れてる」「ちゃんとできてるよ」など、形容詞の臨場感をアップさせる副詞も教わっているので、より口語チックで生きたハングル語を身に着けているのである。

 

そんなわけで、初めましての韓国人と会っても、わたしは臆することなくハングル語で挨拶をしている。その際の決め台詞がこれだ。

「ワタシハ、ハングル語ガチョットダケハナセマス」

・・いやいや、こちらから一方的に形容詞を発するだけで、相手の言っている意味は分からず会話は成立しないのに、さすがに「話せる」は図々しい。むしろ「ほとんど話せません」のほうが妥当なのでは——と、わたし自身も思っていたのだが、韓国の友人に言わせると「ほとんど話せない、とハングル語で言っている時点でおかしい」とのこと。

(まぁ、言われてみればそうか)

 

そこでわたしは、自己紹介とハングル語がちょっとだけできること、さらにハングル文字ならば読めることについて、ハングル語で説明するべく練習を重ねた。

しかしながら、日本にいる多くの韓国人は日本語や英語が話せるので、なかなかわたしのハングル語を披露する時は訪れない——と思っていた矢先に、日本に来て間もない韓国人女性が道場へ入会してきた。

「ニホンゴ、スコシダケ・・」

そう言ってはにかむか彼女に向かって、わたしは先輩らしく堂々とした態度でこう演説をぶった。

「ワタシのナマエはリカ。ワタシはホンノスコシダケ、ハングル語がハナセマス。アナタはカワイイデス。デモ、キョウはアツイデス。」

すると彼女は・・初対面の彼女が目を細めて大喜びで拍手をするではないか。

 

そんな、意味不明なやり取りを見守っていたハングル語の先生である友人と我々三人は、思わずハイタッチをして喜びを分かち合ったわけだが、その際に彼女がハングル語で何かを言っていたが、当然ながらわたしには分からなかった。

それでも、異国の地で相手が一生懸命「話そう」と努力をする姿は、どれだけ稚拙で語彙力に欠けるものであっても嬉しいことなのだろう。とりあえず、年長者として後輩をリラックスさせることに成功してご満悦なのであった。

 

とはいえ、わたしの拙いハングル語の数と比べると、彼女のほうがかなり日本語を知っている。それこそ日付や曜日も言えるし、感情を表す日本語もわたしの10倍くらい持っている。

なのにわたしときたら、「ワタシは岩です」などといった、どうでもいい言葉のカードしか持っていない——あぁ、ちゃんと会話になるような言葉を覚えなければ。

 

だが練習後に彼女が、

「キョウハタノシカッタデス、アリガトウゴザイマシタ。リカサン、ダイスキデス」

と日本語で伝えてくれた時には、わたしも思わず

「ワタシモタノシカッタ、モチロンワタシモダイスキダヨ!」

と、しっかりとハングル語で返してやった。そう、本日初となるまさかの会話が成立したのである!!

 

*

 

言葉というのは、ヒトにとって重要かつ不可欠な「意思伝達手段のツール」だからこそ、多くの言葉をストックしておくことで円滑なコミュニケーションが図れるようになる。

よって、これからも”ハングル語が話せるオンニ(お姉さん)”としてチヤホヤされるよう、脳みそフル回転で頑張る所存なのである。

 

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