今まで、ピアノの演奏をして褒められたこと・・といえば、兎にも角にも「筋肉がスゴイ!!」だった。
もちろん、ステージに立って演奏するのだから、目をつぶって音楽を堪能するだけでなく、ステージマナーというか衣装や所作なども含めてパフォーマンスとなる。
よって、ワンピースから露出した肩や腕そして背中の筋肉が、無数のライトに照らされることで織りなす陰影というのも、これまた一興といっても差し支えないだろう。
だが今回、多くの人から「素晴らしい演奏だった」と、まさかの演奏について称賛の言葉をもらった。
いつもならば「まずは筋肉を褒める」というお決まりのルーティンがあるところ、それをすっ飛ばして「ピアノの演奏が素晴らしかった」と言われた経験は、おそらく人生初ではなかろうか。
しかも、本当にそう思ってくれているであろう表情で、真剣に語りかける姿には少なからず心を打たれた——あぁ、ピアノを弾いて本当によかった。
手前味噌ではあるが、今回選んだショパンのノクターン9番と6番は、演奏に自信があった。
自信というのは、ミスなく完璧に弾けるという意味ではなく、その曲をあるべき姿・相応しい姿で表現できるという部分においての自信だが、そう思えるようになった要因は、5月の発表会で分不相応にも高難易度の曲を弾いた(正確には、押し切った)経験が影響している。
やはり、身の丈に合ったものでないと自ら使いこなすことはできない。
体格に合っていない自転車では、乗りにくいし操作しにくい。それと同じで、実力に見合った曲ですら思うように弾きこなすのが困難なところを、背伸びしてまで難しい曲に取り組んだところで、音符を辿ることはできても他人に聞いてもらえるレベルには到底届かない。
このことを痛感したわたしは、今のレベルにあった楽曲を用いて最大限に魅力を引き出す練習・・もとい、演奏技術を叩きこまれた。そう、これこそが師匠の伝えたかった「音楽の在り方」なのだ。
そして、師匠が提示した曲こそがノクターンの9番と6番だった。
9番は、どちらかというと人間の感情を素直に表現できる曲で、穏やかな流れの中に突如訪れる静寂や葛藤を、いかに自然に伝えられるかが肝となる作品。
そのため、際立たせることを狙うあまりわざとらしくなったりやり過ぎたり・・というのは、言うまでもなく不自然。とはいえ、コロコロ変化する心境を如実に表さなければならず、それを示すのは音であり響きであり振動ということになる。
(言葉にしなければ伝わらないのと同じで、音で・・演奏で示さなければ誰にも何も伝わらない)
しかしながら、6番は異質であり世界観がわたしの生きている現代とは違った。そもそも宗教色の強い作品ゆえに、無宗教のわたしにとっては感覚がつかめない。イメージはあるが、本当にこれでいいのだろうか——。
その時、師匠はこう言った。
「たとえばヨーロッパの荘厳な佇まいの教会で、多くの人々が静かに神へ祈りを捧げている中、あなたは今の演奏ができる?」
——できるはずがない。
わたしの演奏は、神聖なる静寂をぶち壊すような、粗野で空気の読めない野蛮人の振る舞いそのもの。そう、神を信仰するすべての人々の、神聖なる祈りを妨げるようなことがあってはならない。
(いくら自分に宗教観がなくとも、日本人なんだから空気くらいは読める。だったら、その場の和を乱さない、雰囲気を壊さない演奏をしなくては)
譜読みを始めた当初、この曲を弾きこなすことは一生かかっても無理だろうと思っていた。そのくらい、つかみどころのない微妙な音楽性が、「わたし」という人間とは真逆の要素に感じたからだ。
それでも、師匠の手引きに沿って一歩ずつ歩を進めた結果、祈りを捧げた「生ける屍」が辛うじて昇天できるようになった(というイメージ)・・と同時に思った——あぁ、これが音楽なのか。
とはいえ、本番の演奏が満足のいくものだったのかと言われれば、そんなことはない。
そもそも暗譜で弾く予定だったものを、直前でビビッて楽譜を置いたことによりリズムが狂った。しかも、iPadによるデジタル楽譜のため、いつの間にか(瞬きにより)どんどんページがめくられており、気付いた時にはパニック・・というアクシデントが何度もあった。
そんなわけで、完璧というには程遠い内容ではあったが、それでもここまで積み上げてきた技術や経験はすべて注ぎ込むことができた。
本番だからと気負うことなく、明日の、いや10年後の自分のために、正々堂々と真っ向勝負ができた。
(師匠の教えを一つたりとも漏らすことなく、今日のベストを尽くしたぞ!)
*
演奏後、多くの人から嬉しい称賛をもらったわけが、ここへきて「まさかのオファー」をもらったわたし。なんと、ボランティアで演奏会をやってもらえないか・・という、まさかまさかの珍事件である。
わたしごとき素人の拙い演奏を、「また聞きたい」と思ってくれる人がいることに驚いたが、その反面・・とても嬉しかった。ありきたりな言葉ではあるが、嬉しいという思いしか浮かばなかった。
ミスのない完璧な演奏ならば、それこそ機械演奏でいいだろう。だが、不完全で稚拙で脆弱な人間だからこそ、人間同士で響き合う「感情」や「感銘」があるのだと思う。
だからこそ、わたしの身の丈に合った演奏を、それでいて最高かつ最大の思いを伝えられる演奏を、これからも積み上げていきたいと思うのであった。










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