それは地獄の始まりだった。
待ち合わせ場所までの距離は3キロ程度なので、車ならば10分で着く。だが、電車やバスとなるとルートが変わるので、総距離は5キロとなりおよそ35分かかってしまう。
しかも、自宅前の大通りに沿ってただひたすら南下するだけなので、乗り換えが必要かつ駅から歩く労力を考えると、公共交通機関を選ぶメリットはほぼない。そんなことからも、10分で到着する目的地へ向かうべく、待ち合わせ時刻の50分前にわたしは道路に立っていた——そう、すぐ捉まるであろうタクシーに乗るために。
昨日の土砂降りとは打って変わって今日は雨とは無縁の空が広がっている。とはいえ、わたしが望むクリアな青空と立体的な入道雲は相変わらず見当たらないが、それでもまぁ「夏らしい」といってもいい程度の日差しである。
日曜日ということもあり、ウィークデーに比べるとタクシーの台数は少ない。それでも、一回の信号で2台くらいは通過するので、「まぁそのうち空車が来るだろう」と気楽に構えていた。
しかしながら、信号が4回変わった時点で空車は一台も来なかった。この時点でやや不穏な空気が流れたが、「今日は日曜日だから仕方ない」と自らに言い聞かせ、相変わらず路上で立ちんぼを続けるわたし。
すると、一人の男性がわたしの近くへやって来た。
「タクシー、来ないですか?」
コンビニへ入る前にわたしを見かけたというその男性は、炎天下のアスファルトの上で15分以上立ち続けているわたしを見て、心配して声をかけてくれた模様。そして、目の前を通過する「迎車」と「回送」のサインを見送りながら、「何か(イベントでも)あるんですかね?」などと他愛もない会話を交わした。
そして、立ちんぼ開始から20分が経過した時点で、さすがに焦りを感じたわたしはタクシー配車アプリをダウンロードすることにした。
待ち合わせ時刻までにはまだ余裕がある、なんせ55分前に家を出たのだから、むしろ歩いて行っても間に合うくらいの超余裕。とはいえ、さすがに何十分も炎天下で過ごすのは疲れるし、現時点でも頭髪の間から汗が垂れる感覚があるので、そろそろ積極的に動くリミットを迎えたわけだ。
ところが、ここで謎のトラブルが発生した。
ネット広告などで目にする配車サービス「GO(ゴー)」でアカウントを作り、クレジットカードの登録も済ませたわたしはさっそく目的地を指定してタクシーを呼んだ。すると、
「このカードは使えません。支払方法を確認してください」
というエラーメッセージが。もちろん、登録したカードの有効期限もカード会社も問題はない。だがなぜか、何度やっても弾かれるのだ。
そこで、「GO Pay」にデフォルトで設定されているApplePayを選択し、改めて配車を試みたところ・・こちらもなぜか「支払方法を確認してください」といって突き返されるではないか。
(いやいや・・カード登録できなくても、車内で他の支払い方法を選べばいいだけなんだから、とりあえずタクシー呼んでくれよ!!)
そうこうするうちに、予定時刻まで残すところ25分となった。
灼熱のアスファルトでタクシーを待つこと35分、その間何十台ものタクシーが通過したが、空車の赤いランプを灯す車体は一台も現れなかった。
*
さすがに焦りを隠せないわたしは、大通りを少し南下して複数の道が合流する地点へと向かった。
ここはバス停もあるので、先ほどと比べるとヒトが多い。すると、とある夫婦が食い入るようにスマホを見ながら、車道へ身を乗り出していた——タクシーを待っているのだ。他にももう一人、男性が同様にタクシーを待っている。そこでわたしは、
「タクシー待ちですか?」
と声をかけた。すると全員が申し合わせたかのように、
「はい・・でも、全然来ないんです。しかも、アプリも使えなくて困ってます」
と答えるではないか。
(アプリが使えないって・・さっきのアレは、もしかすると支払い方法がどうのこうのじゃなくて、タクシー会社側のパンクによるエラーだったのか?!)
いずれにせよ、ここで待っていても先客が2組いるのだから、わたしの順番は相当先になる。かといって、このまま南下を続けたところで手前でタクシーを拾われる可能性が高いわけで、歩くだけ無駄であり熱中症のリスクも高まる。
なによりもわたしは今、ぎっくり腰の真っ最中。なるべくならば歩きたくないし、走ることなど到底できない——かくなるうえは、バスに乗るしかない。
実のところ、目的地近くまで行くバスはある。だが、日曜日のこの時間帯は一時間に一本も走っていないどころか、あと3時間くらいはバスは来ないことになっている。
そこで、10分ほど経って現れた「品川駅行き」のバスに乗ることにした。品川駅ならばタクシーも捉まるだろうし、プリンスホテルがあるからそこでタクシーを拾うこともできるだろう・・。
*
品川駅に着いたのは、待ち合わせ時刻の5分前。もしもここでサッとタクシーが拾えて、道路が空いていれば5分程度の遅刻で済むが、当然ながらそんな虫のいい話はない。
品川駅高輪口周辺には、もの凄い数の人だかりができていた。旅行客しかり、乗り換え客しかり——すると、こんな会話が耳に飛び込んできた。
「山手線、まだ止まってるよ・・もう間に合わないじゃん」
なんと、山手線が人身事故により動いていないとのこと。
たしかに、耳を澄ますとJR職員のアナウンスが聞こえてくる。
「午前9時頃発生した人身事故の影響で、山手線は現在運転を見合わせています・・」
——ちょっと待て、今の時刻は正午12時過ぎ・・こ、これは最悪。
要するに、山手線で移動できない者たちがこぞってタクシーを拾っているのだ。おまけに、バス停にも長蛇の列ができており、代替手段としてバスやタクシーが標的となっている模様。
品川駅前の通りを何十台ものタクシーが通り過ぎていく。どれも客を乗せているか「迎車」のランプが点灯しており、われわれ移動手段難民に手を差し伸べる神車両は一台もいない。
しかも、皮肉なことに「大井競馬場前行き」のバスは2回も出ていったのに、わたしが乗ろうとしている「五反田駅行き」は、その間一度も来ないではないか。
無論、空車のタクシーが来たらすぐさま捉まえてやろうと、車道へ踏み込みつつこちらへ向かってくる車群をにらみつけてはいる。だが、何分待とうが何十分が経過しようが、空車のタクシーはやってこない。
おまけに、品川駅で客を降ろしたタクシーはすぐさま待っていた客を乗せるため、バス停で立っているわたしの前を通るときはすでに「実車」という悲劇——。
*
こうして、家を出てから一時間が経過した。その間ずっと、炎天下でタクシーを待ち続けたわたし。
通常ならば10分で到着する目的地へ向かうのに、50分も前から準備万端で構えていたにもかかわらず、一時間経ってもまだタクシーに乗ることはできていない。
これもすべて、山手線の人身事故のせいだ。
そんなこんなで、本来の到着予定時刻から一時間遅れでようやく現着したのだが、最終的に「最寄り駅から現場までの500mを全力疾走した」ということは、端折ることなく伝えておきたい。
その結果、ぎっくり腰でもなんでも「このままではやばい・・」と感じたら、ヒトは全力で走れるものなのだということを、自ら立証したのである。










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