老人の肘/URABE著

 

都心を走る電車には様々な人間が集まる。男も女も老いも若いも、そのほとんどがもう二度と会うことのない刹那的な存在であるにもかかわらず、入れ代わり立ち代わり毎日うじゃうじゃと湧いて出るから面白い。

とはいえ、他人の人生など興味はないし共に過ごした時間など一秒もないわけで、あくまでわたし個人の一方的かつ独断と偏見に満ちた想像なのだが、他人の半生を勝手に作り上げる趣味のあるわたしは、とはる一人の老人の「肘」を見つめていた。

 

年は70歳前後——。短く切りそろえられた胡麻塩の頭髪に、日焼けで黒くなった顔には深い皺(しわ)が刻まれている。おそらく仕事帰りなのだろう、白い半袖シャツの上にベージュの作業用ベストを羽織り、ズボンは・・見えない。

帰宅ラッシュと重なり、乗車率が200パーセントの地下鉄車内では、乗客の下半身など見えるはずもない。おまけにその老人は隣の車両に乗っており、連結部分のドアガラス越しに彼を観察しているため、まるでガラスが”色眼鏡”となり勝手な妄想が膨らんでいるのだ。

 

ではなぜ、わたしは彼の「肘」を見ているのか——。実のところ、はじめはシャツの袖から見える刺青に目が行っていた。

肌に馴染んでいる年季の入った青墨の風合いと、腕のいい彫り師が手掛けたであろう緻密かつ精巧な作品は、およそ彼が堅気(かたぎ)の人間ではないことを物語っている。もしかするとヤクザではなく彫り師の家系なのかもしれないが、いずれにせよ眼光鋭いまなざしと相まって「異質な存在」として鈍いオーラを放っていたのだ。

 

そんな過去を持つ老人は、電車の揺れに耐えるべく吊革を握っているが、刺青の先にある肘——加齢に抗えず、何層ものひだが折り重なった哀れなシワシワの肘から視線をそらすことができなかった。

刺青が織りなす見事な威圧感を台無しにするかのような、蛇腹状にたるんだ皮膚がまさにヒトであることを示している。ヒトに限らず生き物は必ず年を取って死んでいく。そして、彼の腕に刻まれた刺青と皴(しわ)のコントラストこそが、彼自身の半生を反映するものであり動かぬ証拠でもある。

 

過去の栄華と波乱万丈な歳月が刻まれた腕——それを否定するかのように、高齢者特有の薄くなった皮膚そして幾重にも波打つ皺(しわ)が痛々しくも悲しく映る。それが未だに、こうして汗水たらして重労働に勤しむ生活を送っているのかと思うと、人生は短いようで長いものなのだ・・という現実を改めて思い知らされる。

 

果たして彼は、いま幸せなのだろうか。

 

他人の人生など興味はないし、それがどうであれわたしには微塵も関係のない話ではある。だが、若かりし頃の勢いと年老いた今とを併せ持つ老人の肘は、何を語るわけでもないが明らかに彼の生き様そのものなのである。

 

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