餞(はなむけ)

 

玄関の近くにいたわたしは、外から聞こえる女性の声にそっとドアを開けた。隙間の先には、小さな花飾りがついた上品な帽子をかぶった老婦人が立っている——あの帽子、見覚えがある。それよりなにより、この顔は間違いなく「彼女」の母親だ。

小さな体にたくさんの荷物を背負った女性は、今まさにエレベーターへ乗り込もうとしていた。そんな彼女へわたしは声をかけた。

「お引越しですか・・?」

「はい、そうなんです。ちょうどこれが最後の荷物でして・・」

 

その言葉を聞きながら、彼女がかぶる黒い帽子を見つめるわたし。この帽子は彼女の娘さん——すなわち、同じフロアに住む女性がかぶっていたものだ。いや、もしかすると母の帽子を借りていたのかもしれないので、どちらの物かは分からない。

なぜ記憶に残っていたのかというと、かつてその帽子をかぶる女性を見たとき、「なんて品のある素敵な帽子なんだ!しかも、彼女の雰囲気にすごく似合ってる」と思ったからだ。

 

しばらく立ち話をしていると、正面のドアが開き住人である女性が現れた。これまで何年もの間、エントランスで挨拶を交わしたりすれ違い際に会釈をしたりする程度だったが、その穏やかな人柄に好感を抱いていた。

そこで引っ越しについて触れたところ、どうやら彼女は関西方面への転勤が決まったらしく、今からその足で向かうのだそう——本当に、これがラストチャンスだったのだ。

 

エレベーター前には、簡単な掃除道具と少しのゴミがポリ袋に入れて置かれてある。これらをゴミ捨て場に置いたら、彼女は東京を去るのか。

 

彼女の母は都内在住とのことで、「今までは近くだったけど、これからは離れてしまうから寂しくてね・・」と、伏し目がちに呟くその横顔には思わず目頭が熱くなる。

すると、娘である彼女がわたしに向かって「(あなたが)いてくれて心強かった、ありがとう」という、まさかの感謝を口にしてくれたのだ——いやいや、感謝してるのはわたしのほうだよ。なんというか、まともな女性が同じフロアに住んでいるというだけで、わたしは嬉しかったし誇らしかった。

それでも、”白金の用心棒”として地域の安全を守る身としては、直接彼女を救ったわけではないにせよ、「心強かった」と言ってもらえるのは用心棒冥利につきる。腕や足が太くてよかった、身体がゴツくて見た目も輩っぽくてよかった——。

 

そういえば、ついさっき自宅周辺を徘徊していた時、近所の洋菓子店でパティシエをしている女性と久々に遭遇した。聞くと、麻布台ヒルズ内の店舗へ異動となったため、本店(白金)にはいなかったのだそう。

しかしながら、「ようやく戻って来れたのか!」と喜んだのもつかの間、「もうじき白金を去るんです」とのこと。その理由は、地元へ帰って自身の店を開くから——それは素晴らしいニュースじゃないか。

白金の店で約8年間の修行を積み、満を持して地元でパティスリーをオープンさせるのだから、喜んで送り出してあげなければならない。だけど、もう滅多に会えなくなると思うと・・それはそれで寂しくもある。

 

パティシエの彼女には、たまたま道を歩いていてバッタリ出会ったのだが、同じマンションの彼女とも、これがラストの運び出し・・というタイミングで会えたわけで、わたしの近くからいなくなる人との「最後の機会」をギリギリのところで与えられたことは、神が気を利かせたとしか思えない。

そして二人とも、新たな環境で新たな生活が始まるという「ポジティブな変化」であり、当然ながら楽しみな未来が待っているのだが、ここへ残されるわたしは一人、どこか胸が締めつけられる思いがする——。

 

一階へと降りて行くエレベーターの数字を見送りながら、もう二度とこのマンションで彼女を見ることはないんだ・・という空虚な現実に、赤の他人であるわたしは唇を嚙みしめた。

加えて、遠くへ行ってしまう我が子を見送る母のことを思うと、他人事ながらも涙腺がゆるんでしまうのであった。

 

 

名前も知らないマンションの住人と近所の菓子店のパティシエ——それでも、彼女たちの「最後」に偶然でも立ち会えたことは、親しさなどの関係性を超えた「縁」のようなものを感じさせられた。

どうか、遠くへ行っても元気で幸せに過ごしてほしい。そして最後に、わたしと出会ってくれてありがとう。