診断書から垣間見える主治医の顔

 

偶然ではあるが、ここ最近で携わった障害年金の申請において、主治医が退職または異動するケースが3件あった。というか、受任したすべての主治医がいなくなってしまったのだ。

言うまでもなく病院はバラバラだし診療科の種類も違うのだが、共通するのは「大学病院または大病院で勤務している」ことと、「いい先生だった」ということだ。まぁなんというか、「いい先生」というのは曖昧かつ主観的な表現であり、人柄がよくて話しやすいヒトを「いい先生」と呼ぶこともあるし、不愛想でコミュ障だが手術の腕が一流のヒトをそう呼ぶのかもしれない。

 

当然ながら、わたしは直接ドクターたちと会ったことはないが、診断書や初診証明の書類を見る限り、その人柄の良さと理解度の深さがうかがえる内容であったのは間違いない。

「たかが診断書」と思われるかもしれないが、診察の内容や所見をカルテから転記するだけの作業・・と捉えているドクターが作る診断書は、残念ながら読めばすぐに分かる。もちろん、それが悪いわけではないし、優先順位として患者の診察や治療があっての書類作成となるため、診断書が後回しになるのは仕方のないこと。

だが、そんな”雑務”にすらエネルギーを注いでくれるドクターというのは、やはり「いい先生」であり優秀な人材といえるだろう。

 

そして、なぜこのような素晴らしい診断書を作成できる人が、比較的短期間でいなくなってしまうのだろうか——これこそが、大病院ならではのしがらみ・・ってやつか。

ちなみに、患者側はドクターがいなくなる本当の理由など知る術もなく、単に「今月一杯でここを辞めます」といわれるだけなので、今後も継続して治療を望むならば、彼ら彼女らの異動先へ転院するしかない。しかしながら、障害年金の申請にかかる診断書、殊に”認定日請求”の場合は、「認定日から3か月以内の状態」をもとに記入する必要があるため、その時点でのカルテが存在する病院でなければ診断書を書くことはできないのだ。

そうなると、場合によっては新任の主治医が担当することになり、「はじめまして」の患者の過去(認定日)の状況を、カルテから読み取り転記することに——。

 

残酷な言い方になるが、ここが運命の分かれ道となることもある。今まで担当していた主治医が残したカルテと、「はじめまして」の診察内容をもとに新たな主治医が診断書を書くわけだが、初対面同士で十分な信頼関係を築くのは至難の業。

とはいえ、医師は患者を診るプロであり、良好な関係を保つ術を身につけている者も多い。それでも、患者側からすると「これまでの長きにわたる病との戦いを、初めて顔を合わせたこのヒトがどれだけ汲み取ってくれるのだろうか・・」と、不安になったり疑心暗鬼になったりするのも事実。

だからこそ、出来上がった診断書を見るとドクターの人柄や人間性が垣間見えるものなのだ。

 

そして今回、障害年金の依頼を受けた3人全員の診断書が、まるで主治医の置き土産であるかのごとく素晴らしい完成度であることに驚かされた。中には、まだ数カ月しか主治医として関与していないドクターもいたが、そのハンデを跳ね除けるほどの抜群な情報収集能力を駆使し、診断書が求める内容の意味や目的の把握に長けた表現でまとめるなど、明らかにヒトとして優れていることがうかがえた。

正直、よくここまで完成させられたな・・と驚きを隠せないほどの出来栄えであり、「これだけの充実した書面を作れる者が、医師としてポンコツであるはずがない」と確信するのであった。

 

そんな「いい先生」たちは、大病院を去ってどこへ行くのだろうか。また別の職場で勤務医として働くのかもしれないし、自身でクリニックを開業するのかもしれない。いずれにせよ、大きな組織に優秀な人材が留まらない現象は、医療業界に限らずあらゆる分野に共通していえる「残念な事実」である。

そしてわたしは、彼ら彼女らが残してくれた「置き土産」を元に、障害年金受給への架け橋として職務を全うする義務がある。その価値あるバトンを受け継いだからには、こちらも最高の仕事をしなければ彼ら彼女らに申し訳が立たないわけで——。

 

・・などという高揚した気分にさせられるほど、丁寧かつ完璧な診断書を受け取ったわたしは、見知らぬドクターたちから漲るパワーを与えられたのである。