わが主治医は、他院の尻拭いのスペシャリスト。

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ヒトは、会話や触れあいといった「コミュニケーション」を重要視する種族である。それゆえに、相手の態度如何でまさかの拗(こじ)れを招いたり、どこか払拭できない不信感を抱いたりと、意図せずしてサバイバルモードを発動することも。

それでも、どんなに不愛想でいけ好かない相手であったとしても、専門家からの助言や指示にはある程度黙って従っておくべきだ・・と、思うのである。

 

 

わたしの眼科の主治医は、見た目は美人だが決して「愛想がいい」とはいえない診察をするため、ネットの口コミは最悪でさすがに可哀そう——そりゃそうだ。ドライアイの相談とかコンタクトを作るとか、はたまたちょっとした目の炎症で受診した患者にとっては、検査も治療も大した重みは感じられないし、出される薬もおよそ見当がつくものばかりで、むしろ「面倒ではあるが、形式的な儀式としてしぶしぶ診察を受けに来てやった」という程度のものなわけで。

だが、眼科医としての彼女の「腕」は紛れもなく一流で、信頼に足る技術と経験そして”誠意”を持っている。なぜそう断言できるのかというと、眼底(網膜)に500発のレーザーを照射しているわたしは・・というか、同様の治療経験がある患者のほとんどが、予後が良好であれば医者の腕の良し悪しなど知る術もないのだが、ひょんなことから彼女の「技術力」を知ることとなったからだ。

 

あれは、友人と網膜裂孔について話をしていた時のこと。

「破れかけているまたは穴のあいている網膜を放っておくと剥離してしまうので、その前に周囲をレーザーで焼いて固めるのが『網膜光凝固術』という手術なんだよ」

という説明とともに、実際にレーザーを照射した網膜の画像をネット検索したわたしは、どの画像もレーザー痕がばらついていることを不思議に思った。わたしの場合はもっと粒が揃って密集していたが、ネットで見る画像の多くは瘢痕が広範囲に点在している・・というか、どこかちょっと違うのだ。

 

このことを定期検査時に尋ねてみたところ、「うん、だからそういうことよ」と、顔色一つ変えずに彼女は呟いた。要するに、レーザーで焼き固めるにしても”下手くそ”がやればバラバラと無造作な瘢痕が残る・・ということなのだ。

その時、わたしは彼女の「凄さ」を知ってゾッとした。

多くの患者は自身の目のことしか知らないため、検査も治療もそれが「当たり前」に感じる。だが、他の患者の手術結果を見たり、他の眼科医による倒像眼底検査(散瞳後に眩しい光を当てられながら、医師がルーペを用いて眼底を見る方法)を受けたりすると分かるが、わたしの主治医は明らかに上手いのだ。

 

そういえば彼女は、(他のクリニックで)眼底検査を受けたにもかかわらず、網膜剥離の兆候を発見できなかった患者を寸でのところで救ったり、(他のクリニックで)行われた硝子体手術やバックリング手術のリオペ(再手術)を担ったり、しょっちゅう「他のクリニックの尻拭い」をしているではないか。

しかも、それらの患者は口々に「でも、先生はいいヒトだった」とか「有名なクリニックだから安心して任せたのに・・」などとほざくが、医師は接客業ではないのだから人柄や広告に流されてはならない。とくに目(歯もそうだが)に関しては、二度と再生しない恐怖と重要性からも、倒像鏡での眼底検査ですらも評判のいいドクターを選ぶべき。そうすることで、ほんのわずかな異変を見逃すことなく、早期治療が可能となるわけで——。

 

無論、信頼関係が構築されていることが大前提の話ではある。こちらからの質問に答えてくれない、医師の説明が難しくて理解できない、こちらの要望を無視して勝手に話を進める・・というような態度に、少なからず不安や嫌悪感を抱く患者は多いはず。

その結果、それらの感情が不信感へとつながり、とてもじゃないが「自分の大切な器官や組織の手術を任せる気にはなれない」となるのは当然のこと。だからこそ、患者におべっかを使えとは言わないが、最低限の説明や理解を仰ぐ姿勢は医師側にも必要で、それは社会人として必須の「対人スキル」といえるだろう。

 

 

そんなわけで、一見「不愛想」に見えるわたしの主治医ではあるが、彼女が行う検査や手術の腕前は超一流だし、治療についての説明もとことん付き合ってくれる姿勢は医師の鏡である。さらに、大学病院時代からの豊富な経験と明らかな実績が、わたしにとってはなによりも「信頼の証」なのだ。

 

少なくともわたしは・・というか、わたしの網膜を救ってくれたのは彼女だし、「一週間後に、もう一度見せてほしい」と言われれば、黙って従うべき。それは、「少しでも診療報酬を稼いでやろう!」という邪心があるのではなく、今回の治療によって目がどのように変化(回復)したのかを確認・記録するための行為だからだ。

とはいえ、患者側からすると「もう治ったんだから、わざわざ見てもらう必要もない」と思うだろう。だが、自身では「治った」と思っていてもまだ炎症が続いていることもあり、そうでなくても一週間という期間でどのくらいの変化があったのかを比較することで、目の特徴や傾向が把握でき、今後の対策が立てられる——これって、いわゆるPDCAサイクルのようなもので、己を知る最善の手段なのではなかろうか。

 

——などということを、次回の診察日をごねる患者を尻目に思うのであった。

(あぁ、医師というのも大変な職業なんだなぁ・・)

 

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