柔術の洗礼、ピアノの試練~たとえ指が逆に曲がったとしても~

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本日のブラジリアン柔術の練習中に、中指と薬指が逆に曲がる・・というアクシデントに見舞われたわたし。状況としては、突き指のような形でマットに指を打ちつけたわけだが、これがまためちゃくちゃ痛くて20秒くらい悶絶——。

 

ちなみにわたしは、己の大雑把で強引な性格を改善するべくピアノを習っている。なんせ音楽というのは、演奏する者によってそれぞれのストーリーが生まれる・・という醍醐味がある。よって、たとえ豪快な大男であっても繊細かつ煌びやかな音色を奏でられるのが、音楽が持つ面白さであり奥深さなのだ。

だからこそわたしは、実際の人物像としてはガサツで粗野なオンナかもしれないが、ピアノを通じて少しでもエレガントな淑女を演じるべく尽力しているわけだ。

 

そして、このピアノと柔術との相性は「最悪」といっても過言ではないほど、対極的な位置にある。なぜなら、柔術という競技は必然的に指を酷使するため、柔術を嗜んでいるかどうかは手を見れば分かるのだ。少なくとも3年以上のキャリアがあれば、第一関節は節くれだち第二関節の皮膚は硬く黒ずんで梅干しのような形状に変化するため、柔術を知らない友人からは「リウマチ?」と心配されるほどの、見るも無残な醜い指になってしまうわけで。

そんな”水と油”の相性である趣味を同時進行するわたしにとって、指を保護することが最優先事項であるのは言うまでもない。にもかかわらず、ちょっとした気の緩みから大切な指をマットに強打してしまったのだ。しかも逆方向に——ギャァァッ!!思い出すだけでも痛みがぶり返す恐怖である。

 

おまけに、よりによって明日はピアノレッスンの日。せめて受傷から2日でも経過していれば、生々しい痛みも多少は落ち着いてくるが、24時間以内に鍵盤を叩くのはさすがに厳しい。

それでもレッスンは明日だし、その瞬間は刻一刻と迫っている。かといって、指の怪我が治ることも良くなることもありえない。となれば、レッスンを休むしかないのか——。

 

わたしは二人の先生に師事しているが、それぞれ週に一度のレッスンのためこの一回をスキップするのは非常に惜しい。かといって負傷を押してまで弾いたところで、いいことなど一つもない。さて、どうするのが最善のチョイスなんだ。

そこでわたしは、静かにピアノの蓋を開けると鍵盤に指を載せてみた。どの角度が痛いのか・・いや、痛みに耐えられるのか。どのくらいの強さならば、なんとかやり過ごせるのか。最悪の場合、痛めた薬指と中指を使わずにどうにか弾ききる方法はないのか——という感じに、負傷を受け入れた上でのベストを探ることにしたのである。

 

このことに関して”だけ”は、ある意味日本で一番自信がある。骨にヒビが入っていようが靭帯を断裂していようが、どれほど指に大怪我を負っていても鍵盤を叩く自信があるわたし。無論、上手い/下手の二択ならば明らかに「下手」なのだが、弾ける/弾けないの二択ならば、即答で「弾ける!」と断言できる。

しかも、無理を押して弾くわけではない。まったく痛くない・・というのはさすがに嘘だが、許容範囲内の痛みならば当然受け入れた上で、指への負担を限りなく減らした弾き方を編み出すことに長けているのだ。

(もしも「指を負傷した状態でいかに普通に弾ききるかコンクール」があったら、間違いなくわたしが優勝するだろう。あぁ、こんなところに才能があったとは、なんと役に立たない無意味な才能なんだ・・)

 

薬指と中指の靭帯を損傷した様子の今回、なるべく指を丸めないように鍵盤に当てるのがコツであることを発見。さらに、ある一定の角度を維持することで、なんとか普通に打鍵できるという事実も判明した。

おまけに、じつは逆の小指も数日前に痛めており、10本中3本の指の自由が効かない状態——こうなれば、1本でも3本でも同じである。むしろ、使えないなりにどうにかして使ってやるのが、指の持ち主であるわたしの使命だ。自身の一部の機嫌くらいとれないようでは、大のオトナが聞いて呆れる。

 

 

こうして、指を負傷していてもどうにか弾ききる方法を確立したわたしは、ほっと一息焼き芋を頬張るのであった。

 

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