黒帯

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およそ7年前、わたしはひょんなことからブラジリアン柔術という競技を始めた。そもそも道着(衣)の文化を嫌い、得体の知れないオッサンらとくんずほぐれつするなど、とてもじゃないが受け入れ難かった。だが、さすがはかつて某企業でトップセールスを叩き出した師匠、

「退会するにしても、すでに2ヶ月分の会費をもらっているので、とりあえず打撃の危険性が少ない柔術をやってみてから決めるのは、どうですか?」

という巧妙なセールストークに乗せられて、辞めるつもりのわたしは道着に袖を通すこととなったのである。

 

なぜ退会か・・というと、トライフォース赤坂への入会初日、キックボクシングのマススパーで網膜に大きな穴を空けてしまったわたしは、ジムを休会することとなった。遺伝的に網膜が薄いわたしが、打撃系の競技に手を出すこと自体が間違っていたのだが、汗をかく程度に嗜んでいたつもりがやはり事故は起きてしまったのだ。

そこから3~4か月、地獄のような日々を過ごした。運動禁止は当然ながら、日常生活でも走ったりジャンプしたり、重いものを持ち上げるなど力んだりしてはならない・・という主治医の指示の元、わたしは生きてるんだか死んでるんだか分からない生活を送っていた。電車の中で突然涙があふれ出したり、道を歩いていたら急に嗚咽したり、精神的にもおかしくなっていたのだ。

それでも時は過ぎていくわけで——。

 

そんなこともあり、対人競技というものに恐怖を抱いていたわたしは、キックボクシングをやるために入会したジムを、初日で退会することになった。言うまでもなく、背に腹は代えられない・・人生において目が大切であることは紛れもない事実であり、趣味ごときで本質を履き違えてはならないからだ。

そんな強い意志をもって、ジムの責任者である師匠の元を訪れたはずだったのだが、イケメンかつウイスパーボイスによる巧妙な話術で、わたしは残留を余儀なくされた。しかも"柔術"という新たな競技に足を踏み入れるという、予想だにしない展開と共に——。

 

そんなこんなで2024年9月14日、わたしは黒帯に昇格した。柔術における黒帯は、帯色としては最終段階だが、実質そこからがスタートである。白・青・紫・茶と、長い年月をかけて学んだこと——例えるならば、学生時代が色帯だろう——を、黒で磨きをかけてさらに洗練するイメージだからだ。

「とはいえ、黒帯からのほうが学ぶことは多いよ」と、黒帯の先輩らは常日頃ぼやいている。わたしなど、自慢じゃないが茶帯の最後にようやくエビ(準備運動で必須の動き)ができるようになったレベルで、とてもじゃないが技の話など口を滑らせてもできないわけで。

——それでも時は、進んでいくのである。

 

そして一夜明けた今日、普段と変わらぬ朝を迎えている。そう、これこそが人生なのだ。試合に勝とうが負けようが、黒帯になろうがなるまいが、どれほど抗(あらが)ったところで何一つ変えることのできない"圧倒的な無力"こそが、人間であえり人生なのだから。

全ては過去の出来事にすぎない。それと同時に、過去の積み重ねで今があり、今もまた次の瞬間には過去になっている。このくだらない小さな繰り返しこそが、目の前の未来を作り上げていくのである。

今日もまた、飯を喰らい大声で笑い、コーヒーを嗜(たしな)みつつピアノの練習をし、仕事をこなしては柔術で汗をかく——そんな当たり前の一日が待っている。何が起きようと、わたしにとっては何一つ特別なことではない。何度も何度も繰り返してきた過去が、今を与えているだけで。

 

それでも、願わくば「世界一の師匠」の地位を盤石なものにするべく、弟子であるわたしの長い旅が始まった・・というのは、あながち間違ってはいないだろう。

 

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