二十年ぶりの「出社」

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人間にとって「これが最後」というのは、意外と覆りやすい覚悟だったりする。それこそ、命が尽きるまで挑戦することは可能であり、そのときは「誰がなんと言おうが、これが最後だ!」と思っていても、しばらくすると「もう一度、やり直そうかな・・」などと、眠っていた好奇心や意欲が復活することもあるわけで。

それに比べて「初めて」というのは絶対だ。誰がなんと言おうが、初めては一回しかない。何人と付き合おうが、いつまで経っても初恋を忘れられないように、初めてのインパクトというのは絶大かつ圧倒的なのだ。

 

 

わたしは今日、それこそ20年ぶりに新卒採用された職場を訪れた。「訪れた」というと語弊がある。なぜなら、この場所へは退職後も何度か足を踏み入れているわけで、正確には、20年ぶりに会長と理事長に会うことができたのだ。

 

一般的に、社員数が百名を超える企業では、組織のトップと下っ端が顔を合わせる機会というのは少ない。だがココは違う。各々の内心では、当然ながらランクもステータスも存在するだろうが、物理的にトップと(嫌でも)顔を合わせる環境にあるのがデフォルトなのだから。

そんな、開放的でありながらも"お堅い組織"に、このわたしが新卒採用されたのだから驚きである・・いや、驚きよりも感謝である。

 

トップクラスの異端児であるわたしを、気まぐれにも拾ってくれた職場とは日本財団だ。全国24カ所のボートレース場で開催されるレースの売上金のうち、3.1%(2024年4月1日現在)を事業支援として、公益事業を実施する団体へ助成するのが日本財団の役割り。

そんなモロに社会貢献を具現化する組織に、自分本位で周りを顧みることなどない、傍若無人なわたしが在籍していたのだから、役員をはじめとする多くの職員が「大失敗だ!」と頭を抱えていた。

 

まぁ、それは事実だからいいとして、社会人一年目のわたしが覚えた標語・・というか概念がある。20年経っても未だに覚えていることから、当時のわたしにとってかなり刺さる言葉だったのだろう。

「あまねく平等にではなく、優先順位を持って、深く、且つ、きめ細かく対応すること」

これは、日本財団の活動指針である「フィランソロピー実践のための七つの鍵」の一つ目だ。

 

寄付行為やボランティア活動といった社会貢献は、得てして「平等」を優先するあまり、表面的な対応で終わりがち。そのため、実際にはある程度のトリアージをしなければ、中途半端な貢献となってしまうのだ。

そんな残念な結果を避けるためにも、優先順位を見極める目や感覚を養い、末端まで行き届くような対応を心がけることを、新入職員のわたしは叩き込まれたのである。

 

しかしながら、何をやっても長続きしないわたしは、たった一人の新入職員として採用されたにもかかわらず、二年足らずで日本財団を去ってしまった。その後、そんな無責任な自分が嫌だったことと、どの面下げて顔を出せばいいのか分からなかったことから、長い間ココを訪れることができなかった。

それでも、細々と関係性を維持していた職員と、SNSを通じて近況報告をするなどして縁が繋がっていたことで、今日、改めて日本財団の敷居をまたぐこととなったのだ。

 

おまけに、こういうのが正真正銘「なにかの縁」なのだろう。奇しくも20年ぶりの出社(?)、かつ、わたしの誕生日に、偶然にも空き時間のできた会長と理事長に会うことが叶ったのだ。

(・・よかった、豆源のメイプルカシューを買っておいて)

たまたま、大好物のメイプルカシューを持参していたわたしは、包装紙すら巻いていない状態の、裸の豆菓子を手土産として渡すことにした。

 

普通に考えたら、会長や理事長に対してそんな手土産は、かなりの失礼に当たるのかもしれない。だが、見た目や金額ではなく、相手の気持ちを慮(おもんぱか)ってくれる人たちだからこそ、わたしはココに居られたのである。

——そんな根拠のない自信とメイプルカシューを手に、わたしは会長の前へと姿を現したのだ。

 

 

わたしにとって"初めての社会人"というキャリアを与えてもらった日本財団は、いつまでたっても特別でまぶしい存在である。そしていつか・・死ぬまでにいつか、彼ら彼女らに恩返しができる日が来ることを、密かに願うのである。

 

Illustrated by 希鳳

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