――オリンピックのメダリストというのは、その時点で、世界の頂点の人間であると証明されたことになる。そのため、やはりどこか「突き抜けてる感」を兼ね備えている。
私の友人に、アテネオリンピック自転車競技の銀メダリストがいる。彼の名は、長塚智広(ナガツカ トモヒロ)。
あの銀メダルは、日本史上初の自転車トラック競技における大快挙。さらに「長塚が引っ張ってきた銀メダル」といっても過言ではない。なぜならあの日、予選本選含めた全レースで、世界最速タイムを出し続けたのが、紛れもなく長塚だったからだ。
つまり、最速の銀メダリスト。
(最速なのに銀、というところは突っ込まないでもらいたい。チーム競技なもんで。)
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たまたま当時のVTRを見た。そして今さらだが、ある違和感を覚えた。それは「ヘルメット」だ。
まず、予選のヘルメットがこちら。
先頭の、白いヘルメットが長塚。うしろの2人とは異なる。
そして準決勝。長塚個人だけでなく、チームとしても世界最速タイムを叩きだした際の画像がこちら。
同じく先頭の、穴の開いたヘルメットが長塚。
(ちなみに、決勝は予選と同じ白いヘルメットだった)
この2種類のヘルメットの違いについて、また、なぜ他の2人と違うのか(日本代表は本来、統一されるはず)、本人に尋ねてみた。
「あー、あれね。オーダーしてたヘルメットが、依頼どおりにできてなかったんだよね。だからオレだけ、その辺で売ってる超ノーマルヘルメットで参加 (笑)」
(・・・え?)
「で、準決勝だけ、穴のあいたヘルメットにしてみた。ちょっとした遊び心で (笑)」
(・・・は?)
「でもねー、チームスプリントっていうのは、オレだけ速くてもダメ。後ろの2人と息を合わせないと勝てないんだ。オレ、あのとき世界トップのタイムだったから、ノーマルヘルメットで空気抵抗を作れた分、タイムが落ちてちょうどよかったんだよね」
(・・・なるほど)
半分冗談(と、エクスキューズしておく)で真相を話してくれたが、当時の長塚はヤバかった。世界中、だれも長塚を抜くことができなかった。
だからこそ、長塚は全力で自転車を踏み、市販のヘルメットでタイムを落とし、チームとして均衡を保つ作戦は、奏功したとしか言いようがない。
たかがヘルメット、と思われるだろう。しかし、自転車トラック競技は1000分の1秒を争う競技。一瞬の遅れは完全なる敗北につながり、わずかな空気抵抗ですら、タイムは容易に変わってしまうのだ。
ピンチをチャンスに変えた、と、美しいスポーツ秘話にしたいところだが、彼はそういうタイプではないので、割愛する。
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時は過ぎ、北京オリンピック。長塚といえば空気抵抗、と異名をとるまでとなった彼は、最先端の空気抵抗削減グッズに目を付けた。
――そう、その名も 「レーザー・レーサー」
レーザー・レーサー(LZR Racer)は、イギリスのSPEEDO社が開発した競泳用水着。特殊な超音波を使って接着するため、水着に縫い目が存在せず、空気抵抗が軽減される。また、生地の一部にLZR Panels(ポリウレタン素材)が接着してあり、締め付ける力が非常に強く、体表面の凹凸を減らす効果がある。
世界最速の男はピンときた。
「水中で体表面積を減らすことで抵抗減につながるのならば、空気も同じはずだ」
そして彼はすぐさま、レーザー・レーサーを手配したのである。
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北京オリンピック当日。私たちが見たレースは、スタート直後に長塚の自転車故障による再発走だった。これが表面上の事実。しかしこれには裏話がある。
車体故障の原因となったホイールは、長塚専用に作られた、スーパースペシャルライトホイール(フランス製)。アテネオリオンピックの時、自転車先進国フランスから、当時最新の自転車を購入し、日本は銀メダルを獲得した(フランス3位)。やはり道具を使う競技は、道具の進化で勝敗が決まるわけで、当然、最先端の道具を使うべき。
そして今回も、フランスのご厚意(?)により「ぜひ我が国のホイールを!」ということで、本番ぶっつけで「長塚専用特注ホイール」を使用することになったのだ。
その結果、ホイールの強度不足により破壊。
しかし特筆すべきはここではない。じつはこの「さらに裏側」があるのだ。
前述のとおり、長塚はレーザー・レーサーを着用している。非常に強い締め付けにより、彼の身体は絞り込まれた状態だ。レース時間に合わせ、ギリギリのタイミングでレーザー・レーサーを着用し本番に備えたわけで、この無駄なロスタイムは想定外だった。
レーザー・レーサーの高圧力により、長塚の身体はみるみるうっ血していった。しかし、こんなことは誰にも言えない。
テレビでは、ベンチコートに身を包み、体を冷やさないよう、太ももを叩く長塚の姿。しかし、その本心は、
「ヤバい、足がしびれてきた…。早くしてくれ!これ以上うっ血すると歩けなくなる…」
こんな感じだ。
テレビでは、チームメイトが長塚を心配そうに見つめる。長塚も、祈るように両手で顔を覆っている。車体故障の不安と、メダルへの重圧が、日本のトップレーサーにのしかかる。
しかし実際は、
本人「たのむ、1秒でも早く再開してくれ。指先の感覚がなくなってきた」
チームメイト(長塚さん、なんでうっ血してるんだ…?)
という衝撃の事態に。
脱ぎたくても脱げないのが、レーザー・レーサーの恐ろしいところ。生地が伸縮しないため、着るのも脱ぐのも一苦労。一度着用したら、レースが終わるまで脱ぐことはできない――。
北京オリンピックの再発走までの間、彼は超強力な「加圧地獄」と戦っていた、というのが裏のオリンピックだったのだ。
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アジア人で短距離分野における世界最速を記録したのは、現時点では長塚以外に存在しない。とにかく、彼はスタートダッシュにかけては天才なのだ。
その後、冬季オリンピックのボブスレー(※ボブスレーも、最初のダッシュが勝負の決め手)からお声がかかったが、そちらへは行かず、政治の道に興味を示した。
そんな波乱万丈な彼の人生が、危なっかしくも華々しいものであることを、友人として心から祈っている。
「想えば叶う」 長塚智広
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