どこかに置き忘れたのだろう、いつの間にか「スポーツ用のマウスガード」を紛失していたわたしは、かかりつけである近所の歯科クリニックで新たなものを作ることにした。
(歯の型取りをして、メーカーに送って・・二週間くらいかな)
そんなことを考えながら、徒歩1分のところにある歯科クリニックの前へとたどり着いた。平日の昼間ということもあってか、待合室に患者の姿はみられない——あわよくば、今日この場で型取りができるんじゃなかろうか。
近頃の医療機関は「予約制」を掲げるところが増えた。当たり前だが、クリニック側としても過度な患者の集中を防いだり、およその人数を把握した上でスケジュールを組んだりできるので、予約制というのはメリットしかない。
しかしながら、内科に限ってはフラッと訪れて診察してもらう印象がある(個人的かつ勝手なイメージ)。まぁ、突然の発熱や嘔吐など急激な体調不良の際に訪れるのが内科なので、事前に予約をして・・などという余裕すらないほど緊急事態というのが、理由の一つかもしれないが。
とはいえ、美容クリニック以外で「完全予約制」というのは珍しく、予約優先ではあるものの飛び込みの患者も受け入れてくれるのが一般的。だが、よくよく考えてみると、歯科クリニックに関しては昔から完全予約制だった気がする。
おそらく、歯の治療に関しては一度では終わらないことと、治療の工程がある程度決まっていることから、あらかじめ複数回の来院を前提に治療のスケジュールが組まれている。そのため、治療終了までは必ず「次回」が存在するのだ。
そして患者側としても、治療途中の仮詰め状態では不安なので、かならず次回の予約を入れてクリニックを後にする。これが他の診療科——たとえば、皮膚科や耳鼻科における経過観察のためだったり、処置後の状態確認のためだったりすると、自身の仕事やプライベートの予定を優先したいため、「後で電話します」といって逃げる場合が多いわけで(自身談)。
このような事情からも、平日の昼間で空いているとはいえ、飛び込みで歯の型取りができるとは思っていなかったが、とりあえず運が良ければ・・くらいの軽い気持ちでクリニックへと足を踏み入れてみた。
まずは、受付に座っている可愛らしいスタッフへマウスガードの話をしたところ、「先生に聞いてきますね」といってしばらく奥へ入っていたのだが、戻って来るなり「今できるみたいなので、どうしますか?」と、まさかの予約なしでも型取りができるというラッキーに恵まれた。
(やった!! とりあえず寄ってみて正解だったな。でも、診察券持ってきてないからどうなるんだろう・・)
喜びの反面、現実的な事務処理に対して不安を覚えつつも、言われるがままスタッフの後をついていそいそと診察室へ入ったわたしは、目の前に映し出された歯の画像(CTとレントゲン)を見て驚いた。
なんと、それはわたし自身のものだった。
(・・えっと、わたしはまだ自身の名を告げていない。それなのになぜ、わたしだと特定できたんだ?!)
このクリニックには複数人の歯科医師が在籍しているが、わたしの主治医とわたしは本日一度も顔を合わせていない。そして、受付に座っていた可愛いスタッフとも、過去に一度くらい顔を合わせたことがある程度で互いの名前など知る由もない。
これがまだ、数日前に治療で訪れていたから記憶に残っていた・・とかならば理解できる。だがそうではない。しかも、通院する患者の人数は何十人・・いや、何百人といるだろうから、それらの者の顔と名前を全部覚えているとは、到底思えないわけで。
それなのになぜ、名札を付けているわけでも自ら名乗りを上げたわけでもないわたしを、いともあっさり特定できたのだろうか——。
*
帰り際、この”からくり”の正体を暴くべく、おそるおそる女性スタッフに尋ねてみたところ、
「そりゃ分かりますよ、ウラベさんだから」
と、笑顔であっさり一蹴されたのだ。そして、この言葉を受けたわたしは心の底からこう思った——あぁ、こりゃ悪いことはできないな・・と。
それにしても、なぜわたしの顔と名前が一致していたのか、その理由が知りたい。
たとえば「常人離れした特殊な歯並びだった」とか、「前代未聞の困難な治療を行った」とかならばまだしも、特に変わったことはしていないわけで、それなのになぜわたしの存在が認知されていたんだ——。
(これは間違いなく、スタッフ間で「ヤバイ奴だ」と噂されてるに違いない・・・)










コメントを残す