罪を犯す一歩手前で踏みとどまった、クズの勇者

 

祭りが終わった後だから言えることだが、わたしはあと少しで「クズ」に成り下がるところだった。なぜかというと、ヴァイオリンの伴奏を頼まれていたわたしは、本番当日までロクに練習もせず「どうにかなるだろう」と高を括っていたのだ。

 

どうにかなるだろう・・でどうにかなるのは、自分以外の者の力や助けがあって、結果的に失敗しなかったというだけのこと。ところが、自分一人しか頼れる者がいない場合「どうにかなる」なんてことはまずありえない。それどころか、ほぼ確実に「どうにもならない」わけで、そんなことは誰もが分かっているからこそ、事前に準備をしたり計画を立てたりするのである。

にもかかわらず、わたしは「本番になれば、きっと上手く弾けるだろう」などという、謎の思い込み?願望?により、頼まれていたはずの曲を練習しなかったのだ。

 

そして迎えた本番当日の朝——ヴァイオリンとのホールでのリハーサルの最中、譜めくりを間違えたわたしは「今どこを弾いているのか分からない状態」になってしまった。要するに、止まってしまったのだ。

急にピアノが消えたので、驚きの表情で振り返るヴァイオリン奏者・・やばい、これは絶対にヤバい。

 

自分一人のステージならば、ミスするも止まるも自分次第で完結する。だが、主役のヴァイオリンにとってサポート役のピアノが消えてしまったのでは、脱輪した馬車から放り出されるようなもので大惨事となる。

そんなわたしの行為は、すなわち他人の演奏を妨害するものであり、さらには他人の人生を冒涜するやもしれぬ「罪」を意味する。

——なぜわたしは、今日の今日まで練習してこなかったんだろう。

 

この瞬間、もはや自分の曲のことなどどうでもよくなった。

ヴァイオリンの伴奏さえ上手くいけば、今日のわたしはお役御免のようなもの。自分のケツは自分で拭くものではあるが、役割が分担されている共同作業においては、自分のミスは全体の失敗へと直結する。ましてや、主役であるヴァイオリンの足を引っ張るような真似をするなど言語道断。そう、伴奏というのは自分のケツを拭いたくらいでどうにかなるほど、軽い任務ではないのだ。

さらに、ヴァイオリン奏者からは「この部分、編曲が弾きにくいから飛ばしちゃってもいいよ」などと、ミスばかりのわたしに対する配慮までされる始末——こんな大失態、許されることではない。

 

言うまでもないが、最高の演奏を求められているわけではなく、むしろ最低限の完成度さえあれば十分な場面において、不完全なまま本番を迎えるほど不義理かつ不敬な行為はない。それなのになぜ、わたしはこれまで「最低限の完成」に向けて着手しなかったのだろうか。

 

己の愚かさと怠慢そして不誠実ぶりに、怒りを超えて吐き気をもよおしたわたしは、会場のはずれにある階段へ移動し、黙々と楽譜を読み始めた。

この曲が上手く弾けない理由の一つに、「普通ならば、この和音はこないだろう」というパターンが散見していることが挙げられる。つまり、わたしが予想する和声の進行とは異なるコードが書かれているため、気を抜くと違う和音を弾いてしまうのだ。

「だからこそ練習するんだろう」とセルフ突っ込みをしながら、鍵盤のない状態で脳内で音を出し続ける。ここでシではなくラが来る・・そして再びシに戻る。つまり、サブドミナントからのトニックか。あぁ、和声のルールで考えると次の音が予想しやすいってことか!

 

これまで、音楽の進行というものをあまり考えずに、楽譜に書かれた音だけを出そうとしていた。だからこそ、次の音が予想外の和音だったりすると、面食らってとまどってしまうのだ。

無論、その瞬間にサッと切り替えて正しい音を打鍵できればいいのだが、いかんせん練習不足の身ゆえに、それすらもバタついてしまうという体たらくぶり。さらに、ソロではなく伴奏として控えている以上、ヴァイオリンに不安な要素を与えることだけは避けなければならない。主役は彼なのだから、最後まで気持ちよくのびのびと歌ってもらいたい——。

などと「役割の本質」を改めて感じながら、音楽理論に則った和声進行を念頭に伴奏の楽譜を読み進めていくのであった。

 

さらに今思えば、もう二度と(ヴァイオリンと)合わせることのできない状況で、いわゆる「ぶっつけ本番」に追い込まれたわたしは、今思えば何年振り・・いや、何十年ぶりかに”超集中”をみせた。

学生時代、テスト直前の詰め込み丸暗記が得意だったわたしは、とにかく勉強をしなかった。そして、テスト当日・・というかテスト直前になって、山をかけた部分のみを怒涛の勢いで暗記したのだ。その結果、運よく高得点につなげることができたので、味を占めたわたしは毎回テスト勉強をせずに直前の丸暗記で凌ぐようになったのである。

 

そんな、学生時代を思い出すかのような「本気の集中力」を久々に使ったことで、「まだできるんだ、こういうこと」という、ちょっとした驚きと清々しさを感じたわたし。

だが、結果としてちゃんと覚えていなければ意味がない。結局のところ、本番でミスなく弾けるかどうかでしかないわけだ。

 

 

こうして迎えたヴァイオリンとのステージは、ギリギリのところで「及第点」といえる出来だったと思う。なにより、ヴァイオリニストのステージを乱すような事態にならず、また、彼の人生に汚点を残すような結果にならなかったことに、心の底から安堵した。

 

やはりわたしは、自分のためではなく他人のために活躍する、クズではあるが勇者タイプなんだ——そう頷きながら舞台袖へと戻ったわたしは、「よし、やりきったぞ!」と小さくガッツポーズを決めた。

それと同時に「本日の終了」を高らかに宣言したのである。自分自身のステージが、数時間後にあるというのに・・。