「あれはまさに、水面(みなも)に揺らぐいったんもめん——」
思わず口をついて出た言葉がこれだった。というか、まさに言い得て妙・・これ以上の表現は見つからないくらい、わたしの目の前には”いったんもめん”がユラユラと浮かんでいたのだ。
・・おっと、ニンゲンを妖怪に見立てるとは失礼な話である。なんせ、気持ちよさそうに水面に身を委ねるいったんもめんの正体は——老婆なのだから。
いったいどのようなシチュエーションかというと、久しぶりに訪れた銭湯の女湯で、ドアを開けた瞬間に目に飛び込んで来た光景が「ソレ」だった。当然ながら、驚くよりも先にわたしは自分の目を疑った。まるで”いったんもめん”のように白くて薄い体の老婆が、目を閉じたまま仰向けで湯船を漂っている・・なんて状況が、ありえるのだろうか。
まぁ「ない」とは言えないが、ややもすると顔が湯に沈みそうなほど完全に体を預けて浮かんでいるわけで、万が一溺れるようなことがあれば・・それこそ事件である。
それにしても、本日の湯は「キウイの湯」とのこと——なるほど、鮮やかな緑色が映えている。そんな美しいキウイ色の湯船に、真っ白ないったんもめんがユラユラと漂っている・・という、なんとも神秘的かつ奇妙なシチュエーションに、わたしは「令和の銭湯」を感じた。
そして、”老婆が仰向けで湯船に浮いている”という状況ももちろんだが、もう一つ、驚きとともに「なるほど、令和だ!」と呟かざるをえない発見があった。それは、老婆の鼠径部すなわちアンダーヘアが見事に処理されていたことだ。
イマドキは”介護脱毛”という言葉が存在するほど、将来受けるであろう排泄介助やおむつ交換のために、アンダーヘアの処理を行う中高年が増えている。御多分に漏れずわたしもVIOは処理済みだが、それは介護のためではなく「モテ期到来」のためなので、目的が大きく違うということだけはハッキリさせておきたい。
加えて、さらに驚いたのはいったんもめん老婆のみならず、銭湯にいるほとんどの女性——といっても大部分が若者で、下は中学生の仲良しグループだった——が、しっかりとアンダーヘアの手入れをしていることだった。
念のために補足しておくが、「手入れ」といっても長さをカットしたり形を整えたりする程度ではない。光脱毛などでガッツリと処理をしているのだ。
(てことは、イマドキの中学生は全身ツルツルがデフォルトなのか・・)
まじまじと観察するのも気が引けるので、湯船に浸かりながら入れ代わり立ち代わりで浴場を出入りする女性客を眺めるわたし。その結果、若者であればあるほど地を覆い尽くすはずの雑草は確認できなかった。あぁ、これこそが令和の女子なんだな——。
少し前・・といっても5年ほど前までは、銭湯でVIO脱毛をしている女性を見かける率は低かった。無論、当時から一定数は存在したし外国人はほぼ例外なく処理済みだったが、それでも手つかずの牧草地帯を従えて闊歩する女性が多い中、見事に除草した先人たちはやや肩身の狭い思いをしているようにも見えた。
ところがどうだ、今となっては真逆の構図が完成しているではないか。
あくまで個人的な意見だが、いわゆる”ムダ毛”と呼ばれる体毛群を野放しにする必要はない。とくに女性ならば、わき毛の脱毛・除毛率はほぼ百パーセントだし、アンダーヘアに関しても「無秩序を保っている」という層は少ないだろう。であれば、いっそのこと新天地を目指す方が衛生的であり快適なのではなかろうか。
その一方で、”淫靡の象徴”といっても過言ではないアンダーヘアという存在は、実用的かどうかではない部分——いわゆるエロス——に存在意義があるともいえる。産毛ひとつ生えていない無毛の女性に対して、どことなくアンドロイドっぽさを感じるのがその証拠。
とにもかくにも、昭和と比べれば令和の今はムダ毛処理が当たり前となり、若年層から率先して草刈りを行っている・・という事実をこの目で確かめることができた。
とどのつまりは、”銭湯すなわち公衆浴場は、裸の付き合いを通じて時代の流れを確認する場なのだ”と、改めて感じさせられるのであった。ただし、「浴場内での会話は控えてください」と銭湯のスタッフが注意をして回っていたので、さりげなく互いのフォルムや伐採状況を確認するしかないのだが——。
(それにしてもあのいったんもめんは、マジでずっと浮遊しているんだな・・・)
コメントを残す