黒毛のチヌ

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電話番号の登録をして便利なこと、というか恩恵を受けたことはあまりない。

 

だが「登録しておいてよかった」と思うことも、たまにはある。

 

 

見知らぬ市外局番から不在着信があった。どうやら四国か九州あたりの市外局番だ。

 

(南日本方面の会社の手続き、最近申請してないよな?)

 

このガラケーの番号を知っているのは、仕事関係か昔の友人知人くらいだ。なので、そもそも着信があっても出ないことが多い。

なぜなら仕事の相談や依頼はテキストでもらうスタンスだし、昔の友人知人とは特にしゃべりたいとは思わないからだ。

 

また、対外的に仕事用としてこの番号を公表しているので、営業の電話が頻繁にかかってくる。その結果、ほとんで出ないということになる。

 

もちろん役所からの電話はすべて番号登録しており、取り逃がすことはない。

仮に出られなかったとしても、役所は留守電を残してくれるのですぐさま折り返す。

 

こうして「開かずの扉」ならぬ「取らずの電話」と化したガラケーがここにある。

 

そんなガラケーに不在着信があり、しかもフリーダイヤルやIP電話ではない番号。

かつ、かなり遠い地域である四国・九州からの着信ときた。

 

ーーこれはかけ直す価値がありそうだ。

 

早速、その番号へと発信する。

「もしもし、××市役所生活衛生課です」

(・・・え?)

「あ、もしもし。社労士のURABEと申しますが、こちらの番号から不在着信があったので折り返しました」

 

顧問先があるわけでもない某市の、生活衛生課へとつながった。

労働基準監督署やハローワーク、年金事務所ならばまだしも、市役所の生活衛生課ってーー。

 

すると先方は、

「しゃ、社労士のURABEさん?ですか?少々お待ちくださいね」

 

受話器をその場に置いたまま、おーい誰か社労士のURABEさんに電話したぁ?と、男性職員が周囲の職員らに声をかけている。

この感じ、地方の市役所っぽくて好きだ。

 

しばらくすると、別の男性職員が電話口に現れた。

「あ、あの、突然のお電話、大変申し訳ありません」

 

なぜそんなにも低姿勢なんだ?

「じ、実はですね・・・」

 

なんと、かつて飼っていた黒柴の「チヌ」が、四国某所のスーパー敷地内を走り回っていたところを、市民によって保護されたのだそう。

 

チヌは「3式中戦車チヌ」から名付けられた。

昔の戦車、とくに昭和20年代以前は、どうやらカタカナ2文字で表されていたようだ。

チヌ、チハ、チリ、ケト、ケニ、ケヌ、オイ・・・。

 

当時付き合っていた彼が「チヌ」好きで、そこから命名された。さらに当時、話題となっていた大型輸送用ヘリコプター「チヌーク」とも掛けており、チヌは立派な軍用犬として育てられた。

 

だが彼と別れる際に、飼っていた2匹の犬をそれぞれで引き取ることになり、乙(オツ)をわたしが、チヌを彼が連れて行くことになった。

その元カレの実家が、四国だったのだ。

 

「マイクロチップの情報からこちらの電話番号が分かりまして、もし現在の飼い主さんと連絡が取れるようならば、お伝えいただきたく・・・」

 

市役所の職員もおよその成り行きを予測できている様子。そりゃそうだ、東京で登録されたチヌが四国にいるということは、何らかのわけがあって四国へ来たに違いない。

となれば、飼い主の登録がされているこの人(わたし)は、今の飼い主ではない可能性が高い。

だが市役所で分かる情報といえば、登録者であるわたしの住所と電話番号だけが頼りなわけで、この先どんな修羅場につながるのか、戦々恐々としていたことだろう。

 

「あの、チヌは元気なんですか?」

 

なぜそんなところで保護されたのか、状況が飲み込めずに不安がよぎるわたしは、まずはチヌの安否を確認した。

 

「ええ、とっても元気ですよ。買い物のついでに逃げちゃったんでしょうかねぇ」

 

職員の話し方からも嘘ではなさそうだ。

チヌがいまどんな様子なのか、どんな顔をしているのか、毛の色は真っ黒じゃなくて少し歳をとった感じになっているのか、聞きたいことはたくさんあった。

だがチヌを捨てたわたしに、チヌのことを知る権利などない。

 

取り急ぎ今の飼い主へ連絡をします、とだけ伝え電話を切った。

そしてすぐさま元カレにメッセージを送る。すると数分後、返信が来た。

 

「ごめんよ、昨日脱走したらしいんよ。でももう親が迎えに行ってくれたから、大丈夫やで」

 

もうすでに市役所へと向かってくれているらしい。よかった。

 

チヌは、見た目は美人だが性格はビビりでワガママな、いわゆる「かまってちゃん」タイプ。

もしも人間だったら絶対に嫌われるだろう。

 

それでも脱走するほど元気なら、よかった。

 

 

滅多に使うことのないこのガラケーが、一つの懐かしい思い出と、忘れてはならない罪をよみがえらせてくれた。

 

そしてわたしは、電話番号を登録することの価値に初めて触れた気がする。

 

チヌがまたいつか脱走して保護されたら、今度は毛の色について尋ねてみよう。

きっと年老いて、白髪混じりの黒なんじゃないかな。

 

 

Illustrated by オリカ

 

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