慣れからくる「鈍感」と、逃げからくる「鈍感」

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今日は久しぶりに、5時間ぶっ通しでピアノの練習した。

(明日レッスンなんで、一夜漬けタイプ)

 

昨日の反省を活かし、”基本から攻める”と決めた、今日。

 

人間の本質ともいえる、面白い発見をしたので、忘れないように書き留めておこう。

 

***

 

簡単な曲をたった一曲完成させるにも、気が遠くなるほどの訓練を積まなければならないことが、昨日、分かった(おせーよ)。

 

しかし、この訓練を避けていては、いつまでたっても「その日」は来ない。

だから、まずは弱点である、「左手の訓練」から開始だ。

 

延べ1時間くらい、左手のみの練習をした。

弾いてる音は単音で、決して難しいものではない。ただ単に、音階を弾き続けているだけだから。

 

そして、楽譜通りに弾くのではなく、

・ものすごく遅く弾く

・ものすごく速く弾く

・全部フォルテで弾く

・全部ピアノで弾く

・シンコペーションを付けて弾く

・付点で弾く

・右手を強く弾く

・左手を強く弾く

・一本の指だけ、強く弾く(他は弱く)

などなど、思いつく限りのありとあらゆる方法で、単なる音階を弾き続けた。

 

これにより、「苦手なパターン」が炙り出された。

4番(薬指)に強拍がくる奏法が、まるで下手だ。これは想定内。しかし、それ以外の指も、意外と、予想以上にメリハリをつけて弾くことが、できていなかった。

 

とりあえず、「左手のみ」の練習はある程度できてきたので、「両手」でやってみよう。

 

本日もこちら、30番ツェルニー16番。

上が右手、下が左手で、単音だから、普通に誰でも弾けるパッセージ。

 

しかし、

 

ガチャガチャになる。左手と右手が、重ならない。

片方ずつ弾いてみると、ふむふむ、それなりにできている。

しかし、合わせるとガチャガチャ。

 

左手に殺意を抱き始めたので、左手を弱く、右手を強く弾くことで、ごまかしてみた。

すると、

なんと、そこそこに聞こえるではないか!

 

 

・・・これが、罠だ。

 

下手なほうを目立たなく弾くことで、「デキナイレベル」が下がる(できないように聞こえない=できているかのように錯覚する)のだ。

 

 

私は、耳を、この上なく澄ませて、とにかく「左右の音を同時に打鍵する」ことだけに集中してみた。

ゆっくり、合わせてみた。

イライラするくらい、微妙にずれる。

とにかく耳を集中させ、目をつむり、ひたすら同時に打鍵することだけを心掛けた。

 

これだけで1時間が過ぎた。

でも、1時間後には、かろうじて、合格範囲内で同時に打鍵できるようになってきた。

 

そのうえで、再度、最初から通して弾いてみた。

(該当箇所通過)

あれ、弾けた気がする。

 

もう一度、戻って、そこだけ弾き直す。耳をかっぽじってよく聞く。

(だめだ、ガチャガチャだ)

 

――そこで気が付いた。

 

今まで、というか、「最後まで弾き切ることが目的」のときは、こういう細かい部分まで、聞いていないんだ。

一つの「曲」として聞いているため、部分的なパッセージの左右がきちんと合ってるかどうか、なんて、気にしてないんだ。

もっと言うと、「音を間違えた」とか「つっかえて止まってしまった」とか、そういう大きなミスはすぐに気づく。

だが、そこまでじゃない「微妙なズレ」は、聞き飛ばしてしまう、あるいは、気にしないようにする、そういう風に「耳」と「脳」が出来上がってしまっているようだ。

 

もし、「間違い探ししてやる」というマインドで聞けば、このミスは見つかる。

だが、弾いてるコチラは、祈る思いで

「なんとか最後まで弾き遂げたい!」

と思っているわけで、どちらかというと、小さなミスには目を伏せ、耳を閉じ

「大丈夫、このくらい、大丈夫」

と言い聞かせてやり過ごしているのだ。

 

そのため、小さなミスを「ミスに聞こえないようにごまかすテクニック」を身に着けていたようだ。

 

**

 

前回のレッスンで指摘されたこと。

「音階弾くとき、前の音を引きずったまま弾いてるの、気づいてる?聞こえてないのかな?べちゃぁーって繋がっててキタナイから、一つ一つクリアな音で弾いて」

これは、気づいていなかった。

 

指を高く上げて、パタパタ弾くなと言われたので、なるべく鍵盤に触れたまま、静かに指を動かすように弾いていた。

それ自体は間違っていない。

ただ、それに慣れたせいで、

「指を鍵盤に乗せたまま弾けばいい」

と端折った考えになり、その結果、音を引きずりながら弾いてることに、気が付かない耳(脳)になっていたのだ。

 

これは、

「慣れからくる鈍感」

だと思った。

 

 

さっきの、”祈りながら弾いているときに、あえてミスに気が付かない耳(脳)”は、

「逃げからくる鈍感」

だと思った。

 

 

慣れると、細かなミスを見逃す。

逃げると、敢えて気づかないようにマインドセットされる。

 

 

これは、ピアノに限った話ではない。仕事でも、スポーツでも同じだろう。そこをシラーっとやり過ごすから、いざというときに失敗するのだ。

 

こちらは、同じくツェルニー18番。

勢いで乗り切ると、一見、弾けたように聞こえる音階の連続。しかし、間違い探しモードで聞いてみると、それはもう、気持ち悪いくらいにガチャガチャ。

 

ここで、もう一つのブーストを発見した。

それは、

「目でプレッシャーを与える」

ことだ。

 

運指(指使い)がおろそかになるとき、その指を「凝視」するのだ。

ガン見。

そうすることで、動きの鈍かったその指たちが、しっかりと働きだした。

 

**

 

ビルダーの先輩が言った。

「ビルダーが鏡を見ながらトレーニングするのは、効かせたい部分(筋肉)を見つめて、そこへ意識を集中させるためだ」

 

確かに、凝視することで、意識がそこへ集中する。

すると、今までさぼってた指が、仕事をしだす。

 

これって、普通の仕事や部活(練習)も同じだ。

上司やコーチ、先生に見られてると、真面目にやってるフリをする。でも、いなくなったらサボる。

 

私の指は、「私のカラダの一部」であるにも関わらず、主が見ていないと「サボる」のだ。

 

 

・・・本当に、気が遠くなるはなしだ。

頼むよ、私の体の一部。頼むから、サボらないでくれ・・・

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